「偉人」の過去の不正義にどう向き合ったか〈上〉 性暴力への「画期的な対応」がなされるまで 長崎人権平和資料館
室田 康子・ジャーナリスト|2024年11月29日3:37PM
顔の見える相手とガチに
しかし、理事会の方針がすべての会員にすんなり受け入れられたわけではない。10月、公式発表を前に会員やボランティアを対象に開かれた説明会は大荒れだった。「男女のことだから真相はわからない」「性暴力といえるのか」と、被害者への「二次加害」といえる発言が飛び出した。「公になったら右翼などから攻撃されて資料館が立ちいかなくなる」「閉館までする必要があるのか」という声もあった。批判的な意見の多くは、岡に尊敬の念を抱き、ともに活動してきた人たちからだった。たとえ性加害があったとしても、そんなことであれほどの功績がある岡を地に落としてしまってよいのか――。
それに対する理事の福田美智子さん(44歳)の答えは明快だ。「岡は自身の平和運動家としての権威を性暴力の道具にしていた。記者との『教えてやる』『教えてもらう』という権力関係を利用して性暴力に及んだ。功績は別ということはありえない」。また、30代の理事は「朝鮮人被爆者の実態が明らかになった現状が、岡が成し遂げたことの延長線上にある。それで十分で、さらに個人をたたえる必要はない」と割り切っている。
説明会での激しいやりとりは、同じ運動をしている人の中でも性暴力に対する考え方に大きな隔たりがあることをあらわにした。福田さんは、性暴力の問題を矮小化する背景には性差別意識があると指摘する。「運動の中で女性が裏方的な仕事に回ることも多く、女性たちの働きが小さく見られがちな面がある」。
資料館を守るために問題に目をつぶろうとする流れもあった。「右傾化する社会で、こんなことで仲間割れしてはいけない」という声も出た。先の30代の理事は「これまで運動で自分たちが『相手』としてきたのは日本政府や右翼、無関心層など、顔が見えない人だった。それが今回は自分の周りにいる顔の見える人になった。その人たちとガチに話さなければならないのがきつかった。でも、そこから逃げてはいけない」と振り返る。
波乱はあったが、理事会の方針が変わることはなく、資料館のホームページに公表するとともに記者発表をした。崎山理事長は「権威ある男性を疑わず被害者の証言を重大に捉えない、内面化された性差別意識やジェンダーバイアスがあった」とコメントした。新聞やテレビがいっせいに「岡正治氏が『性暴力』」「資料館は名称変更、一時休館へ」と報じた。11月の総会を経て、館の名称は「長崎人権平和資料館」になった。「人権保障なくして平和なし」の思いが込められている。
運動の分岐点になれば
24年3月には、社会学者の梁・永山聡子さんを講師に迎えて学習会が開かれた。梁・永山さんは、韓国で20年に人権派弁護士として知られた朴元淳ソウル市長(当時)が元秘書からセクハラを告発されて自殺した後、被害者に対して猛烈なバッシングが起きたことを話した。
「被害者は、信じてもらえないことやお前のせいで英雄が傷ついたと言われることが一番つらい。韓国では性暴力相談所を中心に多くの社会運動団体が協力して彼女を支えた。大事なことは一資料館のみの問題にせず社会運動全体で取り組むこと。資料館にとって、被害者を守りながら性差別・性暴力に取り組むトップランナーになれるチャンスでもある」と訴えかけた。そして「長崎での対応がこれからのリベラルな運動の分岐点になりうる」と期待を寄せた。
4月、資料館は長崎人権平和資料館として再出発した。2階にある「性差別と性暴力」のコーナーには、岡正治の性加害や資料館の対応、「二次加害」とは何かを説明するパネルが展示された。しかし、これらはまだ半分。9月に資料館を訪れると、壁には「その他のパネルについては現在作成中です」と紙が張られていた。今後は日本社会と性暴力を考える展示や被害者支援の情報も出していく予定という。ボランティアで運営に携わる人たちにさらに大きな課題が課せられた。半分空白の壁は、資料館をつくり変えていく遠い道のりを象徴しているように見えた。
(『週刊金曜日』2024年11月22日号)