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「偉人」の過去の不正義にどう向き合ったか〈上〉 性被害を告発した郡司真子さんインタビュー 

聞き手・まとめ/室田康子|2024年11月29日3:59PM

【注釈】
性被害の実態を報道するため、この記事には性暴力の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方はご注意ください。



平和や人権尊重を求める運動や組織が「偉人」と仰いできた人の過去の不正義を突き付けられたとき、どのような対応をしたのか。平和運動家、岡正治の性加害を告発された「岡まさはる記念長崎平和資料館」と、ジャーナリストむのたけじの差別発言に抗議をされた「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」(名称はいずれも当時)。二つの組織の対応を検証するとともに、その過程ではほとんど表に出ることがなかった被害者の訴えを伝えたい。

「被害を話せるようになるまで長い年月がかかった」と郡司真子さん。(提供/郡司真子さん)


――長崎へは就職で?

 1992年に大学を卒業して長崎文化放送にアナウンサー兼記者として入社しました。局では女性として初めて警察取材を担当し、毎日警察署を回っていました。その年の冬、長崎警察署の幹部から電話がきて「事件のことで話がある。会わないか」と言われました。思案橋の小料理屋でビールを飲みながら話を聞いていたら、突然気を失ってしまったのです。気づいたらホテルの部屋で裸にされてベッドにいました。意識がない間にレイプされて、写真まで撮られていました。

「特ダネを取っていけ」

――気を失わされて……。

 警察幹部はビールに睡眠導入剤を入れたと言っていました。もうろうとした頭で「これは犯罪じゃないですか」と言うと、「事件には絶対できない。しようとしてもつぶしてやる」とすごまれました。薬のせいでとにかく気持ちが悪く、タクシーで家に帰るのがやっとでした。当時知識があれば、病院に行ったり性暴力被害の救済機関に相談したりしたでしょうが、できなかった。1カ月ぐらい具合の悪い日が続きました。

――すぐに被害を訴えることができなかった。

 言ってもしょうがないと思ってしまったのです。相手が警察だから握りつぶされると思ったし、被害者だと主張するとアナウンサーとしての生命が絶たれてしまう。立場を失うのが怖かったのです。そのうちまたその警察幹部から「取材のネタを提供するから」と言われて会い、ホテルに行きました。そんなことが5回ぐらいあった。すごく気持ち悪くて嫌なのに、断りきれませんでした。

――職場の上司に相談は?

 私たちのことが噂になって、長崎県警の(不祥事や服務規定違反を調査する)監察官から事情を聞きたいと呼び出され、その前に報道制作部長や先輩記者に相談しました。こんな関係を続けるのはつらいと言うと、部長から「お前が悪い。わきが甘かった。誘うようなことをしたのではないか」と言われ、「だが記者として生き残るすごいチャンスだ、これを道具にして特ダネを取っていけ」と促されました。もう正常な判断ができない状態でした。県警の監察官にはレイプのことは話さず「あくまで警察幹部と記者の関係」で通しました。その後、幹部は転勤し呼び出しはなくなりましたが、どうしても警察の取材を続けるのがつらく、長崎市政の担当に変えてもらいました。

――そこで、岡正治からの性被害に遭ったのですね。

 岡は平和運動の大物で、被爆問題を担当する市政記者にとって重要な取材対象でした。94年の春、岡の自宅に市政担当の記者4人が集まってすき焼きを食べながら懇談する会があったのです。夜遅くなって、他の3人の記者が社に呼び出されて帰り、私は皿洗いをしてから帰ることになりました。

 すると岡は五輪真弓の「恋人よ」のレコードをかけ、下着姿になって「好きだ」とか「パパと呼んで」とか言いながら後ろから抱きついてきました。隣の部屋にはいつの間にか布団が敷かれていた。私が警察幹部から性暴力を受けたことを知っていて「清めてあげる」とも言われました。もうびっくりしてしまって。「すみません、遅いから帰らないと」と言って必死で逃げてきました。

記者としていいのか

――被害はそのときだけではなかった。

 記者室に電話がかかってきて「この前のことを謝りたい。平和運動の新しいネタもあるから」と言われ、仕方なく家に行きました。そうしたら謝罪などなく、「付き合いたい」と言われて押し倒され、キスをされ下半身を触られました。フリーズして動けなくなっていると、タオルの上に性具を並べて「どれがいい」と。「お願いだからやめてください」と言って必死で帰ってきました。

 それからも記者室や市役所の周りをうろついたり電話がかかってきたりして、怖くて。その年の夏に突然亡くなったと聞いたときは、正直言ってホッとしました。

――お別れの会に取材者として行ったそうですね。

 たくさんの人が参列して、みんなが岡のことを持ち上げていました。でも、私はこの人の秘密、本当の姿を知っている。そのことを書かなければと思いました。それなのに、あの日私が書いたのは結局、立派な偉人でしたという原稿だった。記者としてこれでいいのか。この日私はテレビ局を辞める決意をしました。警察幹部に加え岡からも性暴力を受けて、絶望したからです。

 その後、遺品整理の取材に行き、すき焼き鍋をもらいました。岡にされたことは絶対に忘れない。岡のひどい面を知った自分には、それを明らかにする責任がある。自戒として鍋を持っていようと思ったのです。

――鍋は今も手元に?

 いいえ。翌年テレビ局を辞めた後、結婚して夫の転勤で香港に行きました。鍋も持っていったのですが、香港で中国語を学び現地放送局の同時通訳などをして、生まれ変わったような気持ちになりました。もう自分はあのことにこだわらず生きていこうと、鍋を捨てました。

――それで忘れることができましたか。

 忘れることなどできません。帰国して子どもが生まれ、その子に発達特性があったことから発達支援の仕事に携わりました。2人の子育てをし、会社をつくって経営の苦労もしました。いいこともあったし、いろんな体験もしてきた。なのに、それよりも長崎での3年間の記憶が人生で一番重い。自分が人間として尊重されていないと知った23、24歳のときから、時間が止まっている気がします。あのときの衝撃があまりに大きくて、それが解消されていないのだと思います。

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