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「偉人」の過去の不正義にどう向き合ったか〈下〉 地域・民衆ジャーナリズム賞 冠を外しただけでは再出発できない 

室田 康子・ジャーナリスト|2024年12月13日5:14PM

来なかった返事

 むのは松井さんの電話に「障害者がお産をした。生意気だ。それを肩を持つような記事はけしからんといきまいていた人がいた」「聞いたところではウラがあるそうだ。病院の中でも、その女性がわがまま過ぎるといわれていた。その障害者だけが優遇されて、ほかの人が陽の光を浴びないというのでは困る」「物ごとは両面見ないとむずかしいという一つの例として、とりあげた。権力にも大衆にも迎合してはいけないといいたかったのだ」(松井やより「むのたけじ氏に言論の責任を問う」月刊『記録』1981年3月号より)と話したという。

 松井さんは北海道新聞労組から講演記録を取り寄せて確認。引用にはいくつか事実と異なる点があり、松井さんはむのがきちんと記事を読まずに看護婦長の話だけ聞いて批判したのではないかと考え、改めて手紙を出す。返事はなかった。北海道新聞労組にも、詳細を確かめて差別発言と認めるならその旨を機関紙で公表するよう要望。しかし同労組からも返事はなかった。

 一方、井上さんも録音と記録を確認し、むのに手紙やはがきを出すが、返事は来ない。そこで『婦人民主新聞』(現・『ふぇみん婦人民主新聞』)にこの問題を投稿。それをもとに80年3月28日付で記事が出た。記者がむのに「両面からみるというのならボランティアに携わった人たちの貴重な経験の声も聞くべきで、(看護婦長の)一方的な発言のみとりあげたのは矛盾しないか」と尋ねると、むのは「トータルに物事をみなかった。反省する」と返答。ただし、差別発言ではないかという再三の問いかけには「大かたの北海道新聞労組の人たちに受け入れられ、それを問題にしているのは一人か二人です」と言ったという。

 以上が田中さんの資料をもとにしたあらましだ。当時、一部の障害者や女性運動をしている人には知られていたが、大手メディアではまったく報道されなかった。

「当時も今も許されない」

 田中さんからの手紙を受け取った共同代表と実行委員会は検討を重ねた。2023年12月、武野大策さんを除く落合恵子、鎌田慧、佐高信、永田浩三の共同代表4人が「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞を終了いたします」と題した見解を出す。そこには、むのの発言があった1970年代後半、日本社会には障害者への無理解や偏見が根強く残っており、婦長発言も特別とは言えないが、「むのさんの発言の趣旨は、重度の障害がある女性が子どもを産むことは許されないと言っているように読めてしまうのです」と書かれている。「これは、すでに障害がある当事者の運動があふれていた状況下として、ジャーナリストとしても感覚の鈍さや不勉強を厳しく批判されても仕方がありません」。さらに、発言を問題にした女性たちへの対応についても、向き合っていなかったと指摘した。

「むのさんの発言は、当時も今も許されないことです」。見解はそう断じている。同時に、その発言に注意を払ってこなかった共同代表にも責任があるとして、4人は辞任。「わたしたちの中にある『むのたけじ』を偶像、神格化してきてしまったことも問われた」と述べた。

 見解の文案を書いた武蔵大学教授の永田浩三さんは「むのさんは結構マッチョなところや尊大なところがあった。抗議したのが朝日の後輩の松井さんら女性たちでなかったら、対応は違っていたかもしれない。むのさんの業績は確かに立派だが、賞をつくることで私たちがことさら称揚し『ジャーナリストの鑑』としてきたことをやめる以外に道はなかった」と話す。すでに第6回の応募作品が届いていたが、説明とお詫びをして返却するべきだとした。

 ところが、そうはならなかった。2024年5月、今度は武内さんら実行委員会が独自の見解を出して関係者や応募者に配布したのだ。そこには共同代表とは異なる解釈が述べられていた。問題になったのは「むのさん自身の発言ではなく、施設婦長の発言の引用・紹介」であり、「むのさん自身が婦長の発言をどのようにとらえていたのか確認する必要がありましたが、井上さん、松井さんの追及は残念ながらそこまでに届かず」「むのさんの真意は不明のまま、松井さんは『むのさんの差別発言』と断じました」としていた。とはいえ説明抜きで婦長発言を紹介したのは差別感情をそのまま流布した形になるとし、「当事者のみなさんに今後も向き合い」「事件の責任を取るため」「故人の名前を冠から外すこととしました」という。

 そして、すでに届いていた応募作品は返却せずに自分たちスタッフが選考して「地域・民衆ジャーナリズム賞2024」を授与する。今後は新たに最終選考者を依頼して再スタート。9月に発足集会をして募集を開始する。むのが提唱した「たいまつ精神」も継承していく――。こんな内容を武内さんらが埼玉県庁で記者会見して発表。6月には「地域・民衆ジャーナリズム賞2024」の授与の集いを東京で開き、10の個人と団体を表彰した。

旧優生保護法と同じ

 これに対し永田さんは「冠を外すだけでは、むのさんだけが悪いことになる。共同代表が賞自体をやめると決めたのに、実行委員会が賞を存続させるのは許されないこと。何のための共同代表だったのか」と憤る。

 告発の手紙を出した田中さんも「実行委員会の見解は、差別発言を差別と受け止めず、むの氏を擁護したいという思いに貫かれている」と批判。実行委員会が当事者の三井絹子さんの話を一度も聞いていないことを問題視し、8月に三井さんを招いて、差別発言問題をどう考えているか聞く集会を開いた。三井さんは車いすで3人の介護者、夫の俊明さんとともに登壇。話すことができないため指で文字盤を示して参加者に語りかけ、電動タイプライターで打ってきた原稿を介護者が読みあげた。

 三井さんの人生は、障害者福祉のあり方を根本から問い続けた日々だ。22歳で入った都立府中療育センターでは、男性による入浴介護など人権を無視した処遇の改善を訴えた。都庁前にテントを張り座り込み闘争もした。ボランティアだった俊明さんと結婚して施設を出て、娘を出産。その後も、障害者が地域で暮らすための自立支援や介護保障制度の整備に力を尽くしてきた。79歳のいまも精力的に活動を続けている。

 自身の出産について、むのが医療関係者からの批判的な意見も取り上げるべきだと言ったことに対し、絹子さんは「そんなものを聞いていたら、娘はここにいません」と切って捨てる。隣の俊明さんが補足する。初めに診察した医師は中絶をすすめ、後任の医師は後に論文で、妊娠・出産は産科学的に問題なかったが、身の回りのこともできない母親に子育ては不可能で、妊娠・出産の許可は社会的見地に立って考えるべきだ、と書いていた。「障害を持っている人間が子どもを産んでもよいかは社会が決めるというのは、最高裁判決で違憲とされた旧優生保護法での強制手術の考え方と同じ。このような意見を記事に書けということこそ問題ではないか」と俊明さんは言う。

 絹子さんは出産当時、こう書きつづった。「自分ができないことを、手伝ってもらうことは、甘えとは思わない。甘えとは、自分でできることを、自分でやらず、人にやらせることである。私は、子供がなんとしても、欲しかった。それを、不自然なように言われた。なぜ、批判する前に、自分におきかえてみてくれないのか。欲しさを!! 産まれたときの、うれしさを!! ごく自然ではないのか。それを、障害が重い、というだけで、押さえられていく。あまりにも、むごいことではないだろうか」(「それでも地域に生きつづける 『障害者』が子どもを産むとき」より)。

劇を通じて障害者が当たり前に生きられる社会の実現を訴える(右側の車椅子に座る)三井絹子さん。左は木村英子参議院議員。(提供/NPO法人ワンステップかたつむり国立)

本気で悩むしかない

 集会の前後に新たな問題が起きた。実行委員会の武内事務局長が寄稿した「『むのたけじ賞』に幕 障がい者差別発言を巡って」という記事が8月18日付『東京新聞』に載ったのだ。2回連載の「上」で、三井さんや田中さんの名前を出し、むのの発言をそのまま引用して経緯を説明。むのの顔写真も載せていた。この記事では、共同代表がむのの発言を「当時も今も許されない」と厳しくとらえたことは書かれていなかった。

 事前に何も知らされていなかった三井さんは、事実誤認を含む差別発言の引用に大きなショックを受けた。井上スズさんの後を継ぎ三井さんを支援してきた上村和子国立市議が『東京新聞』に抗議。同紙は三井さんに謝罪し、25日に掲載予定だった武内さんの「下」に代えて、井上圭子首都圏部長名の「差別の二次加害に無自覚でした」と題した記事を載せた。差別発言を掲載することは問題の深刻さを明確に伝えるため必要と考えたが、「当時その発言で深く傷ついた絹子さんを45年後のいま、再び傷つける二次加害そのものでした」と説明していた。

 武内事務局長は三井さんに面談を申し入れたが、三井さんは「謝罪されても私に対する発言が消えるわけではない。謝って自分がスッキリしたいだけではないか」と断った。上村さんは「実行委員会の人たちは、自分たちの問題としてどう総括したかを三井さんに伝えるべき」だと言う。「冠を外しただけの今の結論でいいのか。本気で悩んで解決法を考えてもらいたい。そこまでやらないと被害者は救済されない。解決法が成功かどうかを決めるのは被害者です」。

 9月、東京・多摩市の公民館で劇『星の王子さま シン・脱しせつ〜ソーシャルインクルージョンの道』が上演された。三井さんの体験を柱に障害者をめぐる状況が赤裸々に、お笑い要素も交えて描かれる。出演者は障害者と介護者たち。華やかな衣装の三井さんが物語を進めていく。施設での非人間的な対応に胸をえぐられ、優生思想の問題提起に考えさせられる。生き生きと演じる老若男女の障害者たちがどんどん輝いて素敵に見えてくる。

「私は、障害者が子どもを産むのも生きるのも当たり前と伝え続けるだけ」と三井さん。むのたけじが女性たちの抗議に向き合い、三井さんと出会っていたら、そこで対話が生まれていたら、と思わずにいられない。新しい賞として出発するはずだった「地域・民衆ジャーナリズム賞2025」の募集は未確定のままだ。実行委員会が三井さんと本当に出会うことがない限り、新しい賞がスタートを切ることはできない。

(『週刊金曜日』2024年11月29日号)

※編注:本記事とあわせて『週刊金曜日』公式サイトのお知らせ「『偉人』の過去の不正義にどう向き合ったか(下)掲載にあたって」をご覧ください。

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