与那国島の「軍事要塞化」、島民が生活脅かすほどの深刻な状況を訴える
平野次郎・フリーライター|2025年1月22日8:00PM
南西諸島を軍事化する「南西シフト」の先駆けとして自衛隊駐屯地が開設された日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)では、急速に進む島の要塞化により住民の生活が追いやられる事態になっている。こうした現状を伝えようと、同島在住の山田和幸さん(72歳)が東北・関東・関西の各地を回るスピーキングツアーを実施。10月31日の福島県三春町を皮切りに、11月18日の京都市まで計13カ所で講演を行なった。
山田さんは京都府立高校教諭を退職後、2017年に与那国島に移住。土と野菜づくりをしながら、おきなわ住民自治研究所の会員として島の再生についてSNSなどで発信し、呼応した各地の市民や団体が連携のうえ巡回講演を開催した。以下、11月11日の兵庫県西宮市での講演をもとに報告する。
南西シフトは中国の海洋進出に対して南西諸島を軍事化しようとするもので、10年の「防衛計画の大綱」に明記。その先陣を切って16年に与那国島の南西部に自衛隊駐屯地が開設され、沿岸監視隊と移動警戒隊、電子戦部隊(24年3月から)を配備。台湾から東方約110キロメートルの距離にある同島は対中国の情報収集最前線に立つ。他の南西諸島では19年以降、奄美大島、宮古島、石垣島にミサイル部隊と警備隊が配備され、与那国島でもミサイル部隊配備が計画中。さらに同島駐屯地東側の湿原に港湾を建設、島北部の空港滑走路を延長する計画も浮上するなど軍事要塞化が進む。
さらに周辺状況に目を転じると「台湾有事」を想定した自衛隊と米軍との一体化が進む中、22年11月に行なわれた日米共同統合演習(キーン・ソード23)では与那国島に米海兵隊が初めて駐留し機動戦闘車が公道を走行するなど、日常に自衛隊と米軍が入り込んできた。同年10月には町による住民避難計画の説明会、11月には公民館と学校でミサイル攻撃避難訓練がそれぞれ初めて実施された。12月には安保3文書が閣議決定されており、「22年は島、そして日本やアジアにとっても大きなエポックだった。与那国は米軍と自衛隊に囲われてしまった」と説明する。
島の「自立・自治宣言」
与那国町の人口は15年に1500人を割ったが、翌年の駐屯地開設で約1700人に増加。以後は横ばいが続くが、人口減を自衛隊員とその家族の増加で補う形で、現在では人口に占めるその比率は約2割に及ぶ。新築の自衛隊官舎は立派だが、住民が出た後の廃屋や老朽化した町営住宅との対比が象徴的だ。人手不足も深刻で、老人ホームや保育所などが閉鎖に追い込まれたほか、稲作農家も1軒だけになった。島外から保育士に応募したり農業をやるために移住を希望する人は多いが、住居が見つからず断念するケースもある。
こうした中で沖縄県は23年3月に同島など先島諸島5市町村の住民を九州に避難させる図上訓練を初めて実施。同年9月には与那国町による2回目の住民避難説明会が、今年1月には2回目の図上避難訓練が行なわれた。山田さんは「島に住むことを諦めさせ、島を追い出されるのでは、との疑念を住民に抱かせる」と批判する。
それでも山田さんは「与那国に秘められた希望の種を見いだしたい」として、05年に町民大会で採択された「自立・自治宣言」に注目。その中にある、台湾など近隣のアジア地域と友好・交流を推進し「地域間交流特別区」の実現に努力するという項目を紹介する。
当時、町は「国境交流特区」について政府に2回申請したもののいずれも却下された。その後は08年に町議会が自衛隊誘致を求める陳情を賛成多数で採択。町民の間で賛成派と反対派が激しく対立する中、15年の住民投票で誘致賛成票が上回る結果が出たというのが、これまでの経緯だ。
山田さんは、戦前の与那国島と台湾との生活物資による経済交流などの歴史や、1982年の台湾・花蓮市との姉妹都市提携により小中学生が台湾でホームステイする交流が続いていることなどに希望を見いだし、今こそ「自立・自治宣言」に立ち返るべきだと訴えた。
(『週刊金曜日』2024年11月29日号)