桶川ストーカー殺人事件から25年 遺族、記者らが語り継ぐ教訓
臺宏士・ライター|2025年1月23日7:51PM
埼玉県桶川市で1999年10月、猪野詩織さん(当時21歳)が執拗なストーカー被害を受け殺害されてから25年。父・憲一さん(74歳)、母・京子さん(74歳)と写真週刊誌『FOCUS』(2001年休刊)記者として警察より早く実行犯を突き止めた清水潔さん(66歳)が、遺族や取材者としての思いを語るシンポジウムが24年11月30日、東京都内で開かれた。
この事件では詩織さんの訴えに耳を傾けず、告訴状を被害届に改竄した埼玉県警の不正が批判を受けた。一方で警察情報を鵜呑みにした週刊誌やワイドショーなどによる詩織さんの名誉を毀損するような報道や、遺族宅を取り囲む集団的過熱取材(メディア・スクラム)も社会問題化。犯人、警察に加えたマスコミに「娘は三度殺された」と遺族は語った。約40人が参加したシンポでは、メディアの在り方にも多くの時間が割かれた。
「警察が言ったから書いた」。憲一さんは誤った記事を掲載した新聞社に電話で抗議すると、そう突き放された。ワイドショーでは〝評論家”が「この家は家族で話すってことがまったくなかったみたいですね」と訳知り顔でコメント。約2カ月にわたり自宅前には報道関係者が朝から詰めかけた。出勤の際、友人の車に乗り込もうとすると遮られ、その様子もまたニュースになった。「マスコミは絶対許さない」。憲一さんは当時抱いた不快感をそう表現した。
取材が過熱する中で、猪野さん夫妻が取材に応じた唯一の記者が清水さんだった。殺害現場で死を悼む人たちの中に詩織さんから被害の詳細を打ち明けられた2人の親友がいて、その訴えに真摯に耳を傾けた。その親友からの「清水さんは私たちを理解してくれる」との熱心な思いが、不信を極めた夫妻の心を動かしたという。
清水さんは猪野さん宅に入ろうとした自分にもレンズを向けられマイクを突き付けられたという。「カーテンの隙間から外を見ると、カメラのストロボが光った。僕も同じような仕事をしてきたが、こんな思いを押しつけていたんだと初めて身をもって経験した」
ストーカー規制の契機に
「記者の立場で言えば、事実に近づくためには近い距離で知っている可能性がある被害者、家族や遺族の話は今でも聞かなければならないと思っている」と、清水さんは述べ、さらにこう続けた。
「当事者から見れば取材を受けても何の価値があるかわからない。『みなさんのためにならないかもしれないし、かえって傷口を広げるだけかもしれない。われわれができることは再発防止しかない。そのために取材しているので、ご理解したうえでお話しいただけますか』とはっきり言うしかない」
「ある日突然、事件・事故に巻き込まれ、考えてもみなかった状況になっている人たちが今何をすべきなのか。寄り添って一緒に考えてあげないと取材はできない」
実際に猪野さんとのインタビューは、告訴状の取り下げをめぐる警察の噓を暴く糸口になった。この事件をきっかけに2000年にはストーカー規制法が成立。同法を参考にした被害者取材の規制を盛り込んだ人権擁護法案(02年、国会提出後に廃案)制定の動きを背景に報道界では自主規制が進んだ。このため今日ではかなり改善されたことで憲一さんと清水さんの認識は一致。京子さんは「(記者の態度が)上から目線と思ってしまうと真実は話したくなくなってしまう。犯罪被害者への心遣いをしてほしい」と要望した。
清水さんは「詩織さんが残したストーカー規制法で多くの命が守られてきた。このことにも気づいてほしい」と話した。
主催した「桶川事件を学ぶ会」は詩織さんの母校・跡見学園女子大学で非常勤講師を務める室田康子さん(元『朝日新聞』記者)が20年から授業で夫妻をゲスト講師に招いたことをきっかけに学生や研究者、ジャーナリストらで22年に発足。室田さんは「(会場にいる)報道関係者には辛い話となる内容だったと思うが、報道されることで詩織さんを忘れないことにもつながっていくと思う」と話した。
(『週刊金曜日』2024年12月13日号)