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韓国・尹錫悦大統領、「戒厳令」宣布で拘束 軍人らは沈黙続けられるのか?
李昤京・聖公会大学研究教授|2025年2月6日7:21PM
2024年12月14日午後5時、ソウルの国会前が静まり返った。そして国会議長の「可204」の声が、周辺の大群衆に拡声器で流れるや、数十万人もの市民の間から勝利の歓声が響いた。22年5月10日に憲法遵守を約束して大統領に就任した尹錫悦が「違憲・違法の非常戒厳を宣布」して、逆に内乱罪に問われ、2年7カ月で弾劾された瞬間だった。
ふりかえれば、11日前の12月3日午後10時23分に緊急国民談話を始めた尹は3分48秒後、国会での予算減額・弾劾訴追などを理由にして非常戒厳を宣告した。筆者も含めて多くの市民は当初、ディープフェイクや冗談かと思った。
一方、国会議事堂前には、その直後から近隣の住民らが次々と駆けつけて戒厳軍より先に到着。国会を封鎖する警察と対峙しながら「独裁打倒・戒厳撤廃」「扉を開けろ!」と叫び、抗議していた。戒厳布告令1号は国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じて、違反者は戒厳法によって処断するとしたが、国会に駆けつけた人々は誰一人、怯まなかった。
国会に先に入った人々は戒厳軍の侵入を止めんと命がけで抵抗。メディア記者らとともにスマホで一部始終を記録、世界に流した。こうした市民の勇気が韓国史上11回目、1987年の民主化後初の非常戒厳を頓挫させたのは、本誌12月13日号既報の通りだ。
そして14日の二度目の弾劾訴追案採択までに国会前には再び自発的市民が集まり出した。「暴走する権力にひざまずかず」「破廉恥な過ちに沈黙せず」「自分の安易のため逃げず」などの思いを抱いて、Kポップファンがアイドルに振って踊るペンライト=「応援棒」、個性に満ちた旗やボードを持って行進した。
若者がKポップで主導
秩序立ったデモという面では8年前の朴槿恵大統領の弾劾行動と同様だが、若者たち、とりわけ20代女性の主導で「アーパツ、アパツ!」とKポップを歌い踊り、「ユン・ソンニョル弾劾!」と叫ぶ。怒りだけでは長く闘えないことを知るからこそ、楽しく闘う「祭り」でもあったのだ。
集会は全国に広まり、14日まで毎日続いた。デモに参加できない人は、国会議事堂近くのカフェや食堂に百人分前払いの注文をしたり、大量の使い捨てカイロなどを寄付したりして志を共有。議事堂周辺の店や企業はトイレを開放・提供し、インターネットにはその情報を載せた地図が共有されるなど、新しいデモ文化が生まれた。
野党議員と関係者の迅速な対応も戒厳解除に力を発揮した。12月3日、最大野党・共に民主党の李在明代表による議員と市民への国会集合呼びかけは、国防部の全軍指揮官会議より早かった。議員の中には国会を封鎖した警察を避けて壁を登って議事堂に入った人も多い。国会内では野党スタッフらが本会議場に入ろうとする戒厳軍を食い止めたりして、戒厳宣布から2時間半ほどで「非常戒厳解除要求決議案」を可決させた。
その後の弾劾決議への与党議員の賛同増加は時間の問題だった。次の課題は軍の統治権を持っている大統領の職務停止だ。その前段の尹大統領による2次戒厳宣布の可能性はとりあえず回避されている。野党議員たちが6日、特殊戦司令官と首都防衛司令官から「次の戒厳命令には従わない」との言質を取って市民を安心させた。
が、まだ尹錫悦は諦めていない。12日のテレビ演説でも改めて非常戒厳の正当性を主張しつつ、「最後の瞬間まで闘う」と訴え、罷免の可否を判断する憲法裁判所で争う姿勢を見せている。
しかし、国軍統帥権者が弾劾で実質上不在の今、これまで口を閉じてきた軍人たちの沈黙がいつまで持つか? 今回の戒厳令の契機とも言われ、大統領の妻からカネをもらった政治ブローカー、ミョン・テギュンの「パンドラの箱」も開くだろう。韓国の民主化運動を「反日政権樹立運動」としか見ない日本の右翼や大手メディアの姿勢も問われている。(敬称略)
(『週刊金曜日』2024年12月20日号)
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