〈2025年の風景〉田中優子
田中優子・『週刊金曜日』編集委員。|2025年2月6日7:40PM
2025年の風景と言っても、占うわけではない。たとえばトランプが米国大統領になることは決まっている。それによって予見できることがいくつかある。
ひとつは、ロシアがウクライナの領土の何箇所かをロシアの領土に組み入れることで、戦争がいったんは終結するであろう、という予見だ。これはトランプ大統領がウクライナ支援を打ち切ることで起こる。
もうひとつは、イスラエルがパレスチナを制圧して、この戦争も一段落することになる可能性がある。これもまた、トランプ大統領がイスラエルに肩入れする結果起こるかもしれない。
これらは一見、戦争がなくなって良いように思える。しかしトランプ大統領が世界を変えたように見せる「見せかけ」だ。世界の価値観が変わるわけではない。目的は相変わらず一部の人々が「金をもっと稼ぐ」ことにあり、大多数の人々が真に平安に暮らせる世界になるわけではない。いったん止まる戦争も、形を変えてまた始まるに違いない。
米国が軍需産業を諦めるとは思えない。金が動く仕組みを別のところで作るだろう。ヨーロッパも意欲的だ。今までの戦争を止めても、これからの戦争のために軍需品をさまざまなかたちで売るであろう。その狙いのひとつが日本である。
日本の開国の時の世界状況に似ている。あの時、日本列島と日本人の状況は外国から何も買わなくても生きていかれた。しかしそこに「危機」の可能性を見せられた。そこで攘夷などとは言っていられなくなり、海防国防に走って富国強兵に向かっていった。蒸気船や銃を取り入れながら超スピードで自国生産したが、それでも間に合わず武器をグラバー等から大量に購入する。外国を極度に恐れ、危機を煽られてたくさん買ってしまうこの心境に、2025年の日本が浮かぶのである。
危機感をつのらせるより大切なのは外交であるから、私はあくまでもそれを求めていく。25年は参議院選挙がある。まずはまともな選挙運動にしなければならない。公職選挙法を守っているかどうか、しっかり見ていよう。それでも法律の隙を狙って、何をするかわからない。
見せかけの改革とその裏の何も変えようとしない怠惰が、25年の姿に思える。だまされるな! これが年の初めの呼びかけだ。
(『週刊金曜日』2025年1月10日号)