映画『Black Box Diaries』伊藤詩織監督に聞く 「日本へのラブレター」届くと信じて
石橋 学・『神奈川新聞』川崎総局編集委員|2025年4月3日6:10PM
守られるべきは加害者ではなく被害者
──防犯カメラ映像は衝撃的でした。
性暴力は身体を一方的に支配され、コントロールされるものです。私の場合は意識も失っていました。酔いつぶれたことなど一度もないのに。記憶がないため、なぜホテルへ行ってしまったのかと自分を疑い、責めた結果、すぐに向かうべき警察へ行くのをためらってしまった。防犯カメラ映像は、そうした一切を晴らす唯一の映像証拠でした。
──酩酊という表現では足りない状態でした。
タクシーから引きずられていく姿は人形のようで自分だとは思えませんでした。意に反して連れて行かれたことが記録されていました。捜査員もようやく事件性があると判断し、被害届を受理してくれました。
ただ警察にデートレイプドラッグの知識がなく、その捜査をしてもらえなかったのは残念でした。
──インターネットでは事件後に伊藤さんがホテルを出る場面だけが流出してしまいました。
ただでさえ嘘をついていると言われていたのに、ネットの映像が誹謗中傷に拍車をかけました。事件前の映像を見れば、同意を示せる状態ではなかったとすぐに分かってもらえます。
──ホテルとは裁判以外では使用しないと誓約を交わしていた。
映画で使う許諾は得られなかったため、ホテルの外装と内装などをCGで作り替えました。ただ私と山口敬之氏の動作は手を加えていません。アニメーションや再現映像で表せば、事実を曲げる余地が生じる。嘘つきとの中傷も止められません。
──そもそも入手は困難だった。
捜査員に何度も頼んで同行してもらい、保全を求めることができました。直後に現場へ行くのは大変苦しかった。自分が守られなかった場所なのだと、足が動かなくなりました。
性暴力は閉ざされた扉の中で行なわれ、ホテルは犯行現場になります。被害を防ぐだけでなく、起きてしまったときに真実の解明は被害回復の大きな助けになります。加害者ではなく、被害者を守ることを義務づける制度に改善されることを望みます。
──映像からは通りかかった人がいたことも分かります。
「アクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)」の議論が進んでほしいです。ハラスメントや暴力、差別が起きたとき、居合わせた人が見て見ぬふりをせずに声をかけたりする。その一言が事件を踏みとどまらせるかもしれません。この映像はそうした問題提起もできる公益性があると信じます。
ワンサイドに徹した新しい手法
──「捜査員A」の声の使用も議論になっています。
逮捕状が上からの指示で止まったという発言を使用するのは公益にかなうと考えています。警視庁と警察庁にインタビューを申し入れましたが応じられず、当時の警視庁の刑事部長、中村格氏に何度も手紙を書き、自宅に話をうかがいにも行きましたが、文字通り逃げられてしまった。やはりちゃんと説明されていないからこそ使う必要があったのです。
──リアルなやり取りが性暴力被害者がどんな目に遭うのかをよく表しています。
捜査員に対しては感謝の気持ちもありました。最終的には事件に真摯に向き合ってくれたので。でも真摯に向き合うのは当たり前。当時はすがる思いの一心でしたが、お願いして捜査してもらうこと自体がおかしいと、周囲から指摘されて気づくことができました。
──証言を頼む伊藤さんに「養ってもらえますか」「結婚してくれれば」と口走っています。
そのやり取りを使うかは製作チームでもかなり議論がありました。でも捜査ができる権力を持つ人が冗談でも口にしてはいけない言葉。やはりアンバランスな力関係の中で出てきた言葉だと思います。構造的な問題なので、同じことはこれまでもあり、いまも繰り返されている恐れがあります。個人的な思いと天秤にかけ、やはり公益性が勝るという結論に至りました。
──そうした覚悟と決断は伊藤さんでしかできなかった。
葛藤はさまざまにありました。記者の友人に、もうジャーナリストと名乗れなくなるかもしれないとこぼしたことがありました。自分自身のワンサイドなストーリーをドキュメンタリーにするには一線を越える必要がありました。「アルジャジーラ」に勤めるその友人から、既存のジャーナリズムの枠を超えてパーソナルな物語を伝える新しい手法だ、多様なジャーナリズムを考えるきっかけになると評価され、勇気づけられました。