ウクライナ侵攻から3年、戦場ジャーナリストが報告 ある「音楽家」の死から見えてきたもの
五十嵐哲郎・戦場ジャーナリスト。元NHK報道番組ディレクター|2025年4月3日6:56PM
装備不足が招いた悲劇
ヴァシールの家は平原のなかの、小さな集落にあり、妻のテティアナと2人の子どもたち、そしてヴァシールの母親が住んでいる。庭には小さな畑と、彼が日曜大工で建てた東(あずま)屋(や)があり、かわいがっていた3匹の猫が出迎えてくれた。日本からの訪問を喜んでくれたテティアナは開口一番――。
「ところで日本人って、みんなこんなに背が高いんですか?」
ヴァシールにも同じことを言われたと通訳を介して伝えると、照れ笑いをし、目には涙を浮かべた。
最初の訪問時、テティアナはウクライナ社会に対して明らかな不満を抱えていた。国を、領土を、民族や文化を、そして友人と家族を守ろうとして戦地へ行った夫・ヴァシール。本来、学校教員は動員が免除されていたが、自分が一枠でも埋めれば若者の誰かが助かるとの思いで応召したという。
その結果、命を落とすという最大の自己犠牲を強いられたが、ごく近しい人たち以外の理解が足りていないようにテティアナは感じていた。事情を聞くと、このときのテティアナは亡き夫が英雄の称号を得るための署名活動をしていて、大統領府への推薦に必要な2万5000筆を集めようとしていた。締め切りが迫るなかで、思うようにいかないことに苛立ちを覚えていた。
戦死に至った経緯にも、まったく納得ができていなかった。ヴァシールは年齢的に突撃任務は不向きだったものの、第80旅団を自ら選んで入隊していた。それは、防弾ベストや装甲車などの装備がほかと比べて充実していることを本人が聞きつけていたからだった。しかし、戦争が長引き、苛烈な任務にもかかわらず休暇もまともにとれない過酷さのなかで肉体が蝕まれ、激しい腰痛にも悩まされるようになった。
程なくして転属を命じられ、防衛任務が主の一般の歩兵旅団に移った。戦死したのは、この歩兵旅団にいたときだった。装甲が施されていない一般のピックアップトラックの荷台に乗って宿営地から任務に出ようとしたところ、自爆型ドローンの攻撃に晒されたという。車両にはドローンの動きを止める防御システムも取り付けられておらず、他の兵士5人もみな戦死した。
「第80旅団のままでいたら、こうなっていなかったのではないかと考えてしまいます。本人はそのつもりで兵士になったわけですし、私たち家族も初めのころはいろいろな物資や食料を旅団に送って活動を支えていました。夫は、旅団を大きな家族のように思っていましたし、なんとかして戻りたいと第80旅団への転属申請をしていたところでした」
ウクライナ軍は部隊によって装備がバラバラである上、兵士たちが移動で使う車さえ自前で持ち込んでいることが多い。良い武器や装備、士気の高い兵士が揃う部隊もあれば、逆に歩兵銃すら足りず、「恩給目当ての入隊なのでは」と指揮官が困惑するような士気の低い兵士ばかりの部隊があるのも事実だ。ヴァシールが戦死したときに所属していた旅団を調べると、任務中に行方不明となった兵士を捜す家族が大勢いることが分かり、全体としてうまく統制がとれていない部隊だったと推察された。

「英雄の妻」の心のうち
テティアナのもとを再び訪れたのは、それから1カ月が経ったころだった。ちょうど前の日に、英雄称号のための署名が集まりきったため、気持ちはだいぶ和らいでいる様子だった。そこで少しだけ踏み込んだ話も聞けた。
ヴァシールとテティアナは、同じ音楽大学に通っていた先輩と後輩だった。民族楽器を専攻するヴァシールの周りにはいつも不思議と人が集まり、声楽科に通う少し引っ込み思案のテティアナには輝いて見えたという。ヴァシールがコンサートに誘ったことから交際が始まり、卒業後に結婚。いつも音楽に包まれ、喜びや楽しさにあふれる青春時代だった。
その後、家庭を築いてからは2人の子宝に恵まれ、ヴァシールはそのことを心から喜んでいた。子どもたちが小さかったころは一所懸命、楽器の演奏を教えたり、息子が大きくなってからは車の運転を教えたりして暮らしてきたのだという。子どもが生まれたときや旅行など折々に撮った写真を眺めながらテティアナは、ヴァシールにとって「人生の豊かさ」とは「間違いなく子どもたちの存在だ」と断言し、こう付け加えた。
「戦争によって、私たち家族はめちゃくちゃにされました。職場で電話を受けたときに、電話口の兵士から『あなたの夫は国のため、我が軍のため、最大の犠牲をもって貢献をしました』と言われました。そのときは心が張り裂ける思いで、いまも気持ちの上ではまったく前に進むことができません。穏やかでありながらも賑やかだったあの暮らしは、今後いつか戦争が終わっても取り戻すことができません。私は夫と同様に、若い世代が『人生の豊かさ』を経験できることを願うとともに、私たち家族が経験した苦しみを誰も経験せずに済むことを心から願っています」
和平交渉への違和感
開戦から3年。米国のトランプ政権によってウクライナを巡る国際情勢が目まぐるしく変化する様を、テティアナはどのような思いで見つめているのか。オンラインでのインタビューを申し込んだ。米国がウクライナのレアアースなどの利権を求めていることが分かった直後だった。
「すべてのウクライナ人は、戦争が早く終わってほしいと願っていますが、ウクライナ側が望む条件でなければなりません。……そもそも夫は、資源を巡る戦争の犠牲になったというのでしょうか」
(敬称略)
(『週刊金曜日』2025年3月14日号)