右翼街宣車80台が金沢結集で「尹奉吉墓碑撤去」叫ぶ 市民らは抗議
中川美由紀・不二越訴訟連絡会事務局|2025年4月23日7:25PM
3月30日、金沢市内は異様な光景に包まれた。右翼が進軍ラッパを大音量で鳴らし、80台近い街宣車でデモを実施。音量がすさまじく、そして口汚い。交差点にはバリケードが作られ、交通渋滞が引き起こされた。市民生活・営業活動にも支障が生じ「うるさい」「やめろ」と直接抗議する住民や、「戦時中のようだ」と不安の声を上げる住民もいた。SNS上でも「観光都市金沢で、こんな街宣を許していいのか」と批判が上がった。

この街宣は、右翼による「4・29尹奉吉『記念館』開館阻止行動」連続行動の一環であった。
韓国では上海義挙を行なった尹奉吉は安重根、李奉昌と並び独立運動に命をかけた殉国者だ。日本は1875年に江華島侵略を開始し、1910年に韓国を「併合」。そして32年に日本の傀儡国家「満州国」を建国し、第1次上海事変を起こした。上海派遣軍司令官の白川義則大将は同年4月29日、戦勝記念式典を上海の虹口公園で挙行したが、その最中に尹奉吉が手榴弾を投擲し、白川らは死亡。45年9月に東京湾のミズーリ艦上で行なわれた降伏式典で、降伏文書に署名した外相(当時)の重光葵が杖をついているのは、この時に片足を失ったためだ。
日本陸軍は尹奉吉が「独立運動の英雄」となることを恐れ、上海派遣軍の主力・第9師団の司令部があった金沢に連行、処刑した。そして、遺体を秘密裏に石川県戦没者墓苑(金沢市野田山)の崖下、ごみ焼却場の近くに埋めたのだ。
戦後、在日の努力により遺体が発見され、遺骨は祖国へ送られた。92年、在日と日本の市民らがお金を出し合い「尹奉吉義士暗葬之地」として記憶する墓碑を建立した。
「群馬の森」に次ぐ標的
右翼は、これまでも暗葬地の案内板に落書きをするなど嫌がらせを行なってきたが、ついに昨年8月、金沢市を相手に「尹奉吉碑墓地使用許可取り消し」訴訟を起こした。そして「群馬の森の次はユンボンギル」と、右翼勢力の結集を呼びかけてきた。
1月30日、金沢で開館予定の日韓交流「観光案内所」について「聯合ニュース」が「『尹奉吉追悼記念館』開館」と報道した。これを契機に彼らの「テロリストユンボンギルを許すな!開館阻止」を掲げた行動が一気に全国化している。3月2日には右翼が金沢市内の在日本大韓民国民団(民団)石川県地方本部に車両で突っ込み、逮捕者も出した。続いて3月7日には「NHKから国民を守る党」の浜田聡参議院議員が記者会見で「開館」反対の意思を示し、これを『産経新聞』が報道。右翼に加勢した形だ。
戦時強制動員を行なった富山県の工作機器メーカー・不二越に対し、尹奉吉義士の遺志を引き継ぐ韓国人被害者らが謝罪と賠償を求めて裁判を闘ってきた。原告たちは自らの闘いを「第二の独立運動」と位置づけ、裁判の節目には、この尹奉吉義士暗葬地を訪れてきた。
3月30日、金沢を蹂躙した右翼の行動は、在日への襲撃そのものだ。彼らはそのブログで「金澤から不逞朝鮮人を追放する」と主張。「人殺し、人殺し」「テロリスト・ユンボンギル」「日本から出ていけ」と絶叫する姿は、ヘイトを煽動してきた日本の政治の反映である。
右翼の狙いは尹奉吉墓碑撤去だ。4月29日、右翼は再び金沢で大街宣を行なおうとしている。監視・抗議行動への参加を呼びかけたい。
(『週刊金曜日』2025年4月11日号)