〈わたしたちの起点を探す旅〉崔善愛
崔善愛・『週刊金曜日』編集委員|2025年4月23日7:13PM

3月下旬、韓国ソウルへ旅をした。現地では連日、南東部で発生した山火事の大惨事がトップニュースで流れていた。今回の旅は妹・善恵の道案内で、30年前に他界した父・崔昌華牧師の足跡の一部をたどるものだ。妹はわたしより韓国通で、韓国語も話せる。
まずはソウル駅から「解放村」へ。タクシーに乗りこむと、日本語で会話するわたしたちに運転手が「自分も尹大統領も日本のことが大好きなんだよ。安倍元首相にも好感をもっていたんだ」と言うので驚いていると、妹が「めずらしいことじゃないよ。韓国に来るたびに何人かの運転手から同じようなことを聞いた。日本との辛い歴史はもう過ぎたことだと」。妹とわたしにとって、いまだ過去が過ぎ去らないのはなぜだろう。
解放村は、展望台「Nソウルタワー」が建つ南山にある。1947年5月、16歳だった父は生まれ故郷の宣川(朝鮮半島北部)から越境し、ここに住んでいた。朝鮮戦争前後、北部から避難民が押し寄せ、数百軒以上の集住地区となった場所だ。そんな解放村を散策し、80年ほど前の痕跡を探す。より古いものに魅かれるのは、自分のルーツを確認したいからだろうか。
細い路地や急な坂をめぐっていると、「108階段」の前に出た。日本統治時代につくられた「京城護国神社」につながる階段だ。45年、侵略の象徴でもあった神社はなくなったが、この石の階段は残った。
キリスト教徒はとくに神社参拝の強要に苦しんだが、解放後も北部ではキリスト教徒が迫害された。父も16歳で中国国境近くの新義州刑務所の独房に収監されたが未成年のため6カ月で釈放。その直後に38度線を越えた。そして解放村に住むことになるわけだが、その前に父がまず向かったのは永楽教会(旧ペタニ教会)だった。
明洞聖堂のそばにあるその教会へ行くと、妹が「この教会の創立者は新義州出身の牧師で、父が同郷の友人らに再会できた場所」と教えてくれた。礼拝堂の外壁の礎には「1949年8月15日ペタニ教会堂建立」と刻まれている。戦後、父のように北から南へ、命がけで越境した親たちの足跡はわたしの起点だ。
一足先に東京に戻った2日後、妹から電話があった。「きょう、イムジン河を渡ったよ!」「えっ、渡れるの?」「わたしもまさか渡れると思ってなかった」。夢? 夢じゃない。
(『週刊金曜日』2025年4月11日号)