週刊金曜日 編集後記

992号

▼アベノミクスが幻想だとしても、「その幻想は国民が望んでいる」――本号インタビューの安冨歩さんの言葉は明快だ。かくも独善的政治家の暴走がまかり通るのは、独善性を支持することで、幻想を見続けたい国民がいるからなのだ。なるほど、国家戦略特区の都構想(26ページ)でも、オリンピックやバブルの幻想が踊っている。
 ちなみに、安冨さんは、本号「格闘する思想」で中山智香子さんが触れていたラ・ボエシ著『自発的隷従』(ちくま学芸文庫)について、アマゾンにブックレビューを書いている。曰く「明らかに民衆こそは圧政の共犯者である」と。16世紀フランスと現代日本が二重映しになる。政治の世界だけの話ではない。ラ・ボエシのいう「小圧制者」も、それを支える者たちも、私たちの身近に山ほどいる。
 だが、幻想が崩れて初めて、毒牙でボロボロにされたわが身に気づくとすれば、そんな幻想などくそくらえだ。インタビュー後、ならばいかにしてその幻想、隷従から脱却するかという話に。「次はぜひそれをやりましょう」。安冨さんとはそう話している。(山村清二)

▼最近、店頭で手に取って感動し、レジへ直行して購入したのが『しろおうさまとくろおうさま』(PHP研究所)という絵本。ページを繰るごとにたたみかける展開と美しい色遣いが見事だし、ストーリーが単純だけど(だから)いい。何がなんでも周囲を自分の好む色だけに染めたい為政者、権力者にはぜひとも読んでほしい作品だ。
 一色だけの世界なんて美しくない。「美しい国」をつくりたいあの方にもお薦めしたいのだけど、読んで意味がちゃんと伝わるだろうか。物事の本質をわかりやすく鋭く突くことにおいて絵本の右にでる本はないと思っているのだが、なにせ「戦争の放棄」とはっきり書いてある憲法9条を読んでも「集団的自衛権を行使できる」と主張できる読解力だしなあ。異論に真摯に耳を傾けず「最終的に決めるのは自分だ」などと簡単に嘯くような人材は最高責任者の器ではないと思うけど、支持する人もいるから余計に不安になる。
 違う意見の人と話して説得したりするのは確かに面倒くさいけど、それでもやっぱり私は色とりどりの国に住みたい。(宮本有紀)

▼インターネットを前提とした技術の進歩は、ソーシャルメディアを急速に普及させ、いまや市民は消費するだけでなく、コンテンツの生産者でもある。進歩と同時に大量の機器が消費され、廃棄され、新機種に更新されてきた。パソコン・周辺機器、携帯電話、家電、カメラ……。世界中ゴミだらけだ。
 気がつけば自宅のオーディオが危機的になっている。今でもアナログな方式で、学生時代に買った古いレコードを聴いている。ビデオも今のところ観れる。さすがにいろいろ故障してきて、カセットテープは聴くことができないし、替わりに使っていたMDも録音ができなくなった。補足的に使っていたミニコンポもCDが再生不能に……。メーカーはもう修理を受け付けていない。マトモに考えれば「断捨離」的に溜まったものを処分してスッキリしたほうがいいのだが、やっぱり捨てられない。愛着のある機器だし、壊れるまで多少不便でも最後まで使い切りたいと思う。ケチなのかそれともアホなのか。そして今夜もレコードに針を落とすのです。(本田政昭)

▼法事で大阪に行ったら、叔母が「堂島ロール」をふるまってくれた。甘さ控えめで、なるほどこれなら丸ごと一本食べてしまう人もいるという話も頷けた。世の中は空前のスイーツブーム。マスコミもこぞって名店を取り上げ、行列作りに一役買っている。かくいう私も流行に乗っかって……ではなく、残念ながら甘いモノが苦手。好意で勧められても、お断りすることが多く申し訳なく思っている。連れ合いも同様で、わが家には菓子類はおろか砂糖もない。料理の味付けは酒と若干の味醂で事足りている。スイーツを消費しないが酒を大いに消費している連れ合いは、冗談半分で「消費税を上げるならスイーツ税も導入しろ!」と息巻いていた。
 それはともかく、戦争ができる仕組みではないと甘言を弄しても魂胆はマルッとお見通しだぞ、集団的自衛権の行使容認。戦争には巻き込まれないと言っても派兵して一戦交えれば戦争参加国になる。自衛のためだろうがなかろうが戦争は戦争。姑息な手を使わずに国民に信を問え。(原口広矢)