週刊金曜日 編集後記

997号

▼解釈改憲を強行しようとする安倍首相の姿を見ていると、連想してしまうことがある。1941年1月8日、単に陸軍大臣一人の名において《戦陣訓》を発した東条英機のことだ。〈第七 死生観……死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。……第八 名を惜しむ……生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ〉はよく知られるフレーズだ。
 理論社の創業者である故小宮山量平さんは、自伝的大河小説『千曲川』で《戦陣訓》を、〈ただひたすらに人間を物量的に戦力化することだけを求める宣言〉とし、その硬直した死生観が若者たちに急激に浸透して、軍隊のみならず、社会が変質していくさまを、〈一つのクーデター〉と表現している。そんなことが一介の陸軍大臣ごときに許される道理はない、というのだ(もちろん誰であっても許されることではないのだが)。
 民主国家となった日本で安倍首相のやろうとしていることの無謀さは、あの小宮山さんの怒りを思い起こさせる。私の飛躍した連想に、小宮山さんが生きていたら苦笑されるだろうが。(小林和子)

▼関西電力大飯原発の運転差し止めを命じた福井地裁判決(5月21日)以降、原発訴訟が注目されています。そこで小誌では、次号(7月4日号)から金曜アンテナ欄に全国の原発訴訟情報を随時掲載します。ぜひ傍聴に行って、市民が注視していることを裁判所に知らせましょう。ただ、裁判によっては傍聴希望が多くて抽選になることがあります。各訴訟の原告団や支援者らがホームページを開設しているところも多いので、事前に見ておけば法廷を“楽しめる”と思います(もちろん無料)。
 7月4日以前の裁判を二つ紹介。7月1日午後3時?鹿児島地裁では、川内原発差し止め訴訟の第6回口頭弁論期日があります。同地裁では5月30日申し立ての運転差し止め仮処分についても審理中。
 7月3日午後3時?東京地裁103号法廷は必見。函館市が原告の大間原発差し止め訴訟(小誌4月18日号参照)の第1回口頭弁論期日で、工藤壽樹函館市市長が意見陳述します。終了後は、市民による報告集会(参議院議員会館101)が予定されています。(伊田浩之)

▼矢吹申彦さんの連載「東京の横丁」が本になりました。書名は『東京の100横丁』(フリースタイル社)。ちょうど、ひと横丁1回の連載が100回でこんな書名になったようです。
 矢吹さんはパソコンもメールもやらないので、手書きの原稿とイラストマップは毎回手渡しでした。問題は入稿後にそのイラストマップに間違いが見つかった時。パソコンでは直せない。幸か不幸か小生、矢吹さんとは同じご町内という縁、本のページをめくるたびにあらわれるイラストレーションをみては、人にはわからない修正箇所を見て楽しんだこれこそ「修正手技」だなんてひとり言。
 その10回目の「谷中、根津、千駄木」に登場する森まゆみさん。6月の「岩波ブックカフェ」はゲストが森さんだったので森ファンとしては当然参上。
 今は千駄ヶ谷の新国立競技場の建設反対で奔走しているとのこと。新刊『女のきっぷ―逆境をしなやかに』の話はおもしろかった。きっぷとは気風。気風よく生きた17人の女性の話です。(土井伸一郎)

▼「生まれて、すみません」という言葉通りに短い生涯を終えた太宰治の桜桃忌には今も多くのファンが訪れる。薬物依存とか性格破綻者とか、捺された負の烙印もいまだ消えてはいない。しかし、墓参には行かないが、その壮絶な一生から絞り出されたような言葉の数々はどれもまっとうで美しく、身につまされ、勇気づけられる。
「その人と、面と向かって言えないことは、かげでも言うな」は特に気に入っている座右の銘だ。太宰自身はこの律法を守って、「脳病院」にぶちこまれた、と『HUMAN LOST』に書いている。長く生きていると、ウソの噂と陰口を言いちらすひとに遭遇することが無いでもない。そのたびにこの言葉を思い出して、みずからを戒める。
 そして、「過ぎ去ったことは、忘れろ。そういっても無理かも知れぬが、しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりして生きているのではないのか」(『火の鳥』)に、ともかく前を向かなければ、という気持ちにさせられる。(神原由美)