週刊金曜日 編集後記

998号

▼集団的自衛権をめぐる公明党の動きを取材するなかで、いくつか印象にのこる言葉があった。
 ひとつはメディア担当者が言った、「新聞やテレビなど紳士的なメディアと、そうでないメディアで担当をわけている」というもの。
 ふたつめは、公明党の立場に関して、「公明党はニュートラル(中立)です」という党職員の話。
 そして6月28日、党本部で山口那津男代表らの説明をうけた地方議員がメディアに吐いた言葉。
「世の中全体が右傾化している」
「連立離脱をして、維新の会やみんなの党が代わりに連立に入ったら、歯止めもくそもない」
 どれも公明党らしいといえばらしい。メディア対応もそうだ。紳士的でもニュートラルでもないフリーランスや週刊誌は、ときに部屋からつまみ出され、ときに警備員に追いかけられる。
 この組織は、みずからつくりあげた自画像にとらわれすぎてはいないか。歴史の節目にこそ宗教の内実が問われないか。(野中大樹)

▼6月5日、スノーデン氏によるNSAのファイルが報道されて1年、米国では、テック企業と市民団体の連合が主宰し、Reset the Netキャンペーンをウェブで行なった。NSAの大量情報収集を批判し、プライバシーを守り、自由を奪い返すことが目的だ。キャンペーンに参加し、プライバシーを守るツールをダウンロードして使い、批判の意志をバナー等で示す。
 スノーデン氏にファイルを託されたグリーンウォルド氏が相談をし、分析を依頼した、セキュリティ、暗号の専門家、ブルース・シュナイアー氏は、プライバシーと安全を守るため、大手企業の商品を使わず、フリーのOSやソフトを使い、スノーデン氏も使うTorでの匿名化を勧める。携帯、スマホ、PCの通話、メール、ブラウザの履歴といったデータの収集が企業に莫大な利益を与え、政府に支配と抑圧の材料を提供する。収集をブロックすることは、99%による1%への闘いである。シュナイアー氏曰く、「数学を信頼せよ。コードは友である」。(樋口惠)

▼かのキング牧師は「いつの日かジョージアの赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢」を語った。では私たちは自身の「息子たち」に実現してあげられるような、いかなる「夢」があるのか。憂慮するのは、フジサンケイグループの新聞や小学館系の雑誌を筆頭としたメディアによる隣国への憎悪と侮蔑の扇動だ。こうした売文業者は自分たちの生業のためにことさら隣国を貶めるような言説を流し、未来永劫、子どもたちが物心ついたら「反日」などと目の色を変えて中韓に敵愾心を抱くようになる社会にしたいかのようだ。その兆候は若者中心の「ネトウヨ」と呼ばれる層に顕著だが、大人の責務として「息子たち」に育むべきは、隣国の「息子たち」と「兄弟として」手を取り合えるような友愛の情であって、憎悪ではない。隣国を謗って溜飲を下げているような卑しい輩共に、国の未来を汚させてはならない。(成澤宗男)

▼先月までの連続TVドラマで、わが家では野球もの(と分類してます)二つに盛り上がっていたので、終わってしまって寂しく思っている。考えてみれば野球もののドラマは以前からよく見ているが、サッカーものって記憶にない。ラグビーやテニスのドラマは記憶にあるけれど。若い人にはサッカーのほうがなじみがあるのでは。なぜないのだろう。なくても私はいいけれど。わが家の小学生は、野球のルールを全く知らず、ドラマを見ていても説明に一苦労。
 野球もののドラマが続けて最終回を迎えた頃は、サッカーのW杯が国内的に盛り上がっていた時だった。日本の一次リーグ敗退決定後によく目にした意見だが、
「采配がよければある程度弱くても勝てる」
 私はサッカーのことは全然わからないが、先の野球ドラマ二つもそんな感じだったし、けっこうそういうものなのか? スポーツ以外のさまざまなことにもあてはめてつい考えてしまった。(佐藤恵)