1000号
2014年07月18日
▼創刊1000号を迎え、連載ページのリニューアルを進めています。6月20日号の「きんようびのはらっぱで」に続き、今週号では「政治時評」と「経済私考」をリニューアルしました。「国際ニュース」も今週号から、前のデザインを継承しつつ、よりニュース性の高い記事を掲載する方向にシフトするための準備段階に入りました。また7月から「今月の原発裁判」を定期的に掲載。安倍政権の暴走に誌面で抗い続けます。
先日『20世紀エディトリアル・オデッセイ:時代を創った雑誌たち』赤田祐一・ばるぼら/著(誠文堂新光社)が刊行された。20世紀に刊行された「雑誌」への息苦しいほどの愛に満ちた斬新な編集がスゴい。雑誌中毒者必見です。
また雑誌『アイデア』363号の阿木譲特集は秀逸な企画だった。伝説の雑誌『ロック・マガジン』や関係書のデザイン刷新の圧倒的な速度感に改めて刺激を受けた。「浮上せよと活字は言う。再起動せよと雑誌はいう」。本誌は今が正念場です。(本田政昭)
▼集団的自衛権行使をめぐる議論の陰で、通常国会では多くの悪法が成立した。「医療・介護総合確保推進法」もその一つ。要支援を介護保険制度から外して地域に丸投げしたり、特養への入居資格を要介護3以上に限るなど、どれをとっても、超高齢化社会の行く末を左右する重要な19本もの関連法案が、一括審議で、ほとんど議論されないまま強引に成立させられた。
法案が衆院厚労委員会で強行採決された日、たまたま東京S区で開かれた法案の勉強会に出ていた。区の担当者が、厚労省から配られたパンフをもとに講釈するのだが、人間の血が通っていない無味乾燥な説明が並ぶばかり。地域で長年、高齢者ケアにかかわってきた社会福祉法人やNPOのひとたちの「認知症のひとがどんどん増えていくのに、これでは、とても責任をもって、ケアをしていけない」という悲鳴が耳に残っている。
集団的自衛権行使であれ、医療・介護総合確保推進法であれ、「ひとの生命を軽んじる国」だとつくづく思う。(山村清二)
▼「タブーに挑戦する新しい雑誌」「三万五〇〇〇人の一人となって、あなたが創刊しよう!」――『週刊金曜日』の創刊を呼びかけるキャッチコピーだ。真っさらな表紙にデカデカとしたロゴ。小さな文字で「創刊のことば」がビッシリ。
1000号記念の読者会座談会の参加者、及川譲詞さんが持ってきて下さったものだ。20年の月日を経た広告は、セピア色に褪せて、もうボロボロ。でも、それでも、これから何かが始まりそうな、そんなワクワクを感じさせてくれた。
いま、もしキャッチコピーをつくるとしたら? 定期購読者は、残念ながら「三万五〇〇〇人」には遠く及ばないが「あなたが創刊しよう!」と訴えた当時の志は失ってはならないと思う。
広告収入に依存せずに本誌が1000号を重ねられたのも、定期購読という形で読者の方々が支えて下さったからこそ。本当にありがとうございます。
ちなみに本号では、読者会座談会に加え、「投書」も1000号記念の特別版です。(弓削田理絵)
▼「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動がある。最初に耳にしたとき、徴兵経験のある韓国からの留学生に「平和憲法?自衛隊があるのに?」と嗤笑されたことを思い出した。憲法が制定されたときには確かに平和賞を受賞する資格があったかもしれない。しかし、憲法が施行されてから67年。平和を守る「不断の努力」は果たしてきちんとなされてきたのか。施行後ほどなくして警察予備隊が発足し、最終的に自衛隊に改組された。以来武装の放棄を象徴する『あたらしい憲法のはなし』に描かれた鋳直される武器弾薬の絵は文字通り絵空事になってしまった。日米安保条約では、米軍の駐留を許し、彼らは世界各地の戦場で弾薬をばらまいている。また、米軍基地が沖縄に集中し、基地被害がたびたび起こっていることを私たちは知っているはずだ。すべてを見ないことにすれば確かに日本は平和だ。しかし、事実を隠蔽して過去を美化する醜悪さを知るはずの私たちが同じ轍をふむことはあってはならないと思う。(原田成人)