1002号
2014年08月01日
▼口喧嘩の強い人って、世の中にはいる。「ディベートのうまい人」も。私なんて、えーと…、と言ってる間にさんざんしゃべられる。ただ、そこで「強く」ありたいとは思わない。浪速の市長のあの「能力」を、羨ましいとも思わない。
高校野球の季節。少し前の新聞に、都大会開幕の広告が載っていた。AKBなんちゃらのメンバーの写真と、でっかいキャッチコピー「命懸けてる 格好いいな」。簡単に命懸けるなよ。それより熱中症に気をつけ……はともかく、こんな言葉を見ると、うまく「仕掛けて」くるなーと思う。こういうことに平気になっていく、つまり「命を懸ける」なんてことへのハードルが下がっていくのが怖いし、「向こう」の意図だろう。深読み? それが外れなら嬉しいですが。
言葉で相手を圧倒する力よりも、巧みに潜まされた厄介な言葉を感知し、それを自分の言葉で「ひっくり返す」力を鍛えたい。吉田照美さんの言うように、やはり文化の力=表現者に学びたいし、期待したいところか。かつてのナンシー関のような。いまなら佃野デボラさんのような!(小長光哲郎)
▼ぶぉ?ん! 住宅街の小道を車が猛スピードで駆ける。子どもを自転車に乗せた女性が驚いて、自転車ごと転倒。非常識な運転に怒ろうと思ったが、「ばかやろ?」と、女性の後ろから来た男性が怒鳴ってくれた。と思ったら、男性はなんと女性に怒っていた。子どもを乗せて転ぶなんて不注意だとか。非難する相手が違うのでは?
差別感情を扇動するヘイトデモについても、同じことを感じたりする。デモに反対するカウンターの中には荒っぽい言動をする人もいるので、どちらが差別主義者かわからないという批判に対してだ。「差別デモを許可するという差別扇動」がまかり通る社会構造の中で、対抗する手段が限定されていく側面もあると思うのだ。
差別を受ける側からは、カウンター批判をほとんど聞かない。マイノリティの声の聞き取りがもっとなされるべきではないか。この中、在日コリアン青年連合(KEY)が「晴れほこ」という在日コリアンのための相談事業を始めた。小さな声を拾い上げる大きな場となってほしい。(渡部睦美)
▼7月26日、「ペルーの働く子どもたちへ」と題された「第11回チャリティトーク&コンサート」(永山子ども基金主催)に行ってきました。4人を射殺して1997年に死刑になった永山則夫さん(享年48)の遺志により、同基金は永山さんの印税やコンサートの収益などをペルーの貧しい子どもたちに送っています。永山さんは、処刑される5カ月前に起きた「在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件」の報道で、ペルーの子どもたちの貧困を知ったようです。
2002年に来日したペルーの子どもは、「永山さんは確かに罪を犯しました。でも、もし犯行当時、私たちのように一緒に考えてくれる人、場所、運動があって、自分が置かれている貧困状況などを客観視できていれば、罪を犯すことはなかったでしょう」と発言しています(集会資料より)。
死刑が執行された8月1日前後の集会だけに今年も酷暑でしたが、会場の東京・西片町教会は大勢の人が詰めかけました。私も静謐な空間で、貧しさからくる犯罪や児童労働、死刑制度などさまざまなことを考えました。(伊田浩之)
▼私のような気が短く器の小さな人間はコンビニのレジ待ちで並ぶことすら煩わしい。「ポイントカードはお持ちですか?」なんて店員に聞かれようものなら、「そんなことどうでもいいから早くレジを打て」だ。そもそもポイントカードほど怪しいものもない。僅かなお得感に騙されてはいけない。
「冴えない中年男性がいつどこでどのビールを買った」。この情報をそのビール会社に売って儲けるシステムだ。いっそ名称を“個人情報筒抜けカード”に改めるのはどうか。今話題の“危険ドラッグ”よりよほどわかりやすい。
最近、個人情報に関するふたつのニュースが世間を騒がせた。突然身に覚えのない通信教育の会社からのDMも気味が悪いが、突然自衛官募集のDMも同様だろう。かたや許されざる行為、こなた法定受託事務のため、自衛隊法に基づき、自治体の持つ住民基本台帳から個人情報を開示させる“正当な行為”だそうだ。やってる事に違いはないように思えるが、お国をあげてやる事に個人情報の保護などはありえないか。(尹史承)