1003号
2014年08月08日
▼天皇を主権者とした大日本帝国憲法下でさえ「憲法違反の疑いがある」と反対の声があった国家総動員法は、当時、国民の支持が高かった近衛文麿内閣と陸軍が押し切る形で法制化された(1938年4月)とされる。しかしそのタネは前年からばらまかれていた。
今から77年前の1937年8月24日、同じ近衛内閣で一つの方針が閣議決定された。「国民精神総動員」。「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神を推進」するという運動だ。経済低迷など当時の社会不安や不満を一掃しながら国民全員を戦争に協力させる。「暴戻支那」(暴虐な中国)などのスローガンが政財界・メディアで飛び交い、『愛国行進曲』なる運動のテーマ曲が人気を呼び、その踊りの振り付け(表紙写真)も出た。一方で人を大量に殺しながら、踊りを楽しむという奇怪な「国民精神」が醸成されていった。
「愛国」を標榜する支持率50%前後の首相の下、閣議決定、憲法違反、武器輸出、尖閣防衛といったデジャヴュ(既視感)を伴った敗戦69年の夏……。(片岡伸行)
▼日本語さえ覚束ない私にとって、英語はいわずもがなである。先日、大阪でご一緒させてもらったアメリカン大学教授のピーター・カズニック氏との別れ際でも、「お気を付けて」と言いたいはずが思わず “Be careful!” と命令してしまい……ピーター氏と通訳の乗松聡子さんに笑われてしまった。
ピーター氏は昨夏、オリバー・ストーン監督とともに広島、長崎、東京、沖縄を訪れた。その記録集が『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』(弊社刊)と題し、発売中だ。本書で執筆もしていただいた乗松さん曰く「オリバー監督が来日中は行く先々で多くの報道陣が詰めかけ、メディアスクラム状態だった」という。
しかし、オリバー監督が語る安倍政権やオバマ大統領への批判的な意見というのはほとんど報道されていない。今の日本メディアにすれば“必要”ない情報だからだ。本書にはその鋭い視点がそぎ落とされずに収録されている。権力に対する一番の武器は「真実」。ぜひお読みください。(赤岩友香)
▼8月15日を「敗戦記念日」とみなすことは妥当なのだろうか。
〓秀実は『1968年』(ちくま新書)で、〈降伏文書が調印された九月二日ではなく、天皇の玉音放送だけで何の根拠もない八月一五日を「終戦記念日」とする神話が、保守と革新とを問わずに確立する〉現状は、戦前の〈「大政翼賛会」に象徴される総力戦体制・総動員体制の変奏と見なすべき〉としている。「天皇制」(ひいては「ファシズム」)を批判・否定する側がいかに理論武装しようとも、“8月15日”を認める時点でその努力は「無」に帰す。
このほか、沖縄市は9月7日を「平和市民の日」と定めている。1945年のこの日、ようやく旧越来村森根で米軍と日本守備軍間の降伏調印式が行なわれた。8月15日以降も沖縄では、激戦が繰り広げられていた。(内原英聡)
▼今ロボットは人の声の抑揚を聞き取って反応を変えるというところまできているらしい。
「お昼ご飯何がいいかな」という質問をすると、ロボットがいろいろ提案をしてくれる。提案に不満そうな反応をすると抑揚で判断して、すぐに別の提案をするんだそうだ。当たり前なんだけど、ロボットは自身の提案を補強してさらに勧めてきたりはしないんだろうな。人間だったら、ちょっと「うーん」という反応をしても、「でも、この時期だからこそあえて○○」とかかぶせてきたりして、そういう楽しみもあるんだが。
さらに想像の翼を広げてみる。いつかロボットが一番の話し相手って時代がきたら、耳に痛いことを言ってくれるなんて場面は消えてしまって、ちょっと不快な様子を見せたらすぐに気持ちいい言葉に切り替え、人間はどんどん独善的に……。
あ、でも聞く耳を持たない人とロボットみたいなご機嫌取りの取り巻きばかりの状況だと“人間”同士でも同じことか。(志水邦江)