1004号
2014年08月22日
▼政治とは本来、人間の精神性に照らして決して低い次元の営みではないはずだ。それは平和や人権、民主主義といったかけがえのない、かつ未完の理念を現実に近づけていくという作業のはずなのだから。それがどうだ。55年体制時に政治が最も注目されたのは続発した汚職や疑獄であり、その時代が過ぎると、国会が恥知らずの輩の独壇場と化した。特に日本軍「慰安婦」問題に関しては、やれ「河野談話を見直せ」だの、「『朝日』を証人喚問に呼べ」だのと叫ぶ、人の痛みもわからない連中が多数ではないか。彼らによるとこの問題を学校で教えるのは「自虐的」で、「反日的」なのだとか。理念を論じる余地など最初からあったのかどうか疑わしい国会が「政治」の場だというのは、何という貧しい光景だろう。秘密保護法や集団的自衛権という民主主義や人命に関わる問題の論議で、政府側から官僚がお膳立てした無機質な答弁しか聞こえてこなかったのは偶然ではない。戦後69年間、かつて圧殺されたが故に限りなく貴重であったはずの理念を、この国は自ら貶め続けてきたのだろうか。(成澤宗男)
▼盆休み、久々に実家に帰った。高齢の父母の二人暮らしだから(通い猫がいるが)、最初はテンポがあわず会話もかみあわない。離れて暮らす娘に対する不満も当然あろうが、そこは気兼ねもあってか話題は当たり障りのない政治の話へ。会話は盛り上がり、いつのまにか主導権は母親に。
東電の事故処理が不十分なこと、被災地そっちのけで東京五輪を開催する理不尽さ、年金の手取りがどんどん減額される悔しさ、国民年金の第3号被保険者制度への不満(母のような自営業の妻からすれば、会社員の妻を優遇する現行制度は不公平の象徴のようなもの)……政権批判のオンパレードとなった。
一つだけトーンが違ったのが、経済政策だ。年齢制限もあるが、限られた範囲で利殖の手段を講じているようだ。「自分たちで生活を何とかしたい」という気持ちは痛いほどわかる。だが……。
その日、4?6月期のGDPの速報値が内閣府から公表された。実質で前期比1・7%のマイナスだった。(小林和子)
▼矢崎泰久さんの新刊『残されたもの、伝えられたこと―60年代に蜂起した文革者烈伝』(街から舎)が上梓された。3年前に出された『あの人がいた』の続編にあたる。羽仁五郎・竹中労・久野収・小田実など錚々たる個性派15人が登場する。その中でも70年代、原発推進一色だった国・企業・学界に対し果敢なる反対論を唱え続けた物理学者、水戸巌と高木仁三郎は、矢崎さんが物理学とは違うところでのつきあいだっただけに余計に興味を引いた。
水戸巌は86年、冬の剱岳北斜面で双子の息子と3人で夜間遭難死している。53歳だった。『話の特集』87年12月号の追悼座談会を読むと、吹雪の中、懸命にテントを張った場所がせり出した雪庇の上だったらしい。
他方では67年10月の羽田闘争を機に「救援連絡センター」の創設に妻の喜世子さんと奔走された。今年3月に緑風出版から出された『原発は滅びゆく恐竜である』はそんな水戸さんの講演録である。小出裕章氏のまえがき、喜世子さんの寄稿だけでも読んでいただきたい。(土井伸一郎)
▼はじまりはいつも雨。せっかくの夏休みなのに、なかなか晴天が続かない。海に山に出かけてもあいにくの雨だったら、楽しめない。そんなとき、昔はてるてる坊主を作った。今はスマホで天気予報と組み合わせた「てるてるアプリ」なんてのもあるかもしれない。明日はハレルヤなんて……。
それにしても今年は雨が多い。傘を手放せない。月間雨量に数時間で達したという表現をよく聞く。先日の台風は、速度が遅かったので長時間、暴風雨にさらされた。農作物や家屋の浸水、倒壊など物的被害は計り知れないが、人的被害がそれほどでもなかったのは、外出を控え、場合によっては早めに避難するといった事前の備えが徹底したからだろう。
人間は自然に対しては無力だ。台風、地震といった天変地異にはなすすべもない。だからこそ備えを万全にしなければならない。怠ったから、福島のような重大な原発事故を起こした。責任の所在を明らかにせず、原因も究明されていない。再稼働はもってのほか、原発はいらない。(原口広矢)