週刊金曜日 編集後記

1014号

▼「戦後」における過去の克服の浅薄さが雄弁に示された――。後世の歴史家は、連合軍への降伏から70年を目前にした2014年を振り返って、このように特徴付けるのではないか。今夏以降私たちが『朝日』バッシングで目撃したのは、日本軍「慰安婦」問題で本質的論点でもない「誤報」に対し憎悪の言説が無数に浴びせられ、問題自体が「捏造」であったかのような風潮が醸し出されるという、理性の壊死状況に他ならない。これこそ、国際連盟脱退を告げて帰国した松岡洋右を歓喜の声で迎え、「南京陥落」を提灯行列で祝した時代の再現ではないのか。今や当時の蓑田胸喜のような悪しき扇動者がいくらでも溢れている反面、「反軍演説」で知られる斎藤隆夫のような硬骨漢は国会に何人いるのか。その斎藤に対して浴びせられた「売国」といった類の誹りが、かくも身の周りに溢れた時代を「戦後」は経験していない。この先、再び「12・8」を迎えても、社会からどれほどの反感が生じうるのだろう。だが本誌は、かの戦前の『土曜日』と同じ運命をたどるつもりは毛頭ない。(成澤宗男)

▼「世紀の『大虚報』朝日新聞はケジメをつけよ!」「歴史の偽造! 朝日新聞と『従軍慰安婦』」。いまだに書店の店頭で溢れかえっている『朝日』と「慰安婦」バッシングの言葉。そんな中、出版業界紙『新文化』(10月23日付)が、バッシングの急先鋒『WiLL』は「売行き好調だ」として、花田紀凱編集長のインタビューを掲載。花田編集長は「僕は真ん中。でも左から見れば真ん中も右に見えるんでしょう」「つまらないものは載せない」などと語っている。
 このたび、まるごと一冊「従軍慰安婦」問題を特集した臨時増刊号を10月29日に緊急発売した。小誌は左だと見られることが多いけれど、右とか左とか、そんなことはまったく関係ないと思う。「慰安婦」の存在そのものが消されようとしている今、事実を伝えなくてはならない――その思いだけで編集した一冊だ。
 バッシングをしている雑誌や本を手に取っていない人でも電車の中吊り広告はじめ、聞こえのいい言葉に流されてしまっているかもしれない。そういう方々にも是非お勧めください。(赤岩友香)

▼今週号の「脱・混迷ニッポン」では流山児★事務所代表の流山児祥さんを取り上げた。寺山修司の芝居をリアルタイムで観られなかった私は少しでも触れたくて、流山児★事務所の寺山の芝居を以前観たことがある。シュール? 前衛? 何とも表現しがたいが、私にとっては新ジャンルだった。
 今回上演された「どんぶりの底」の舞台は「貧民窟」。雑多な人々が何でもありとばかりに生きる姿が描かれる。「鬱屈が世界を動かす」という台詞が妙に現実味を帯びて聞こえてきた。取材で流山児さんが、自分たちの芝居はリアリズムとは対極にあると言っていたが、社会の問題性をえぐり出す力はずば抜けているように感じた。
 さて今さらですが食欲の秋、収穫の秋ということで知人の畑で芋掘りをさせてもらった。子どもたちが大きい芋を掘り当てたり、ミミズを見つけたりして、歓声をあげる。青空の下で食べる焼き芋のおいしいこと! お土産の芋は天ぷらかスイートポテトか……。流山児さんの後編は11月28日号で掲載予定です。(吉田亮子)

▼上段で赤岩が記した通り、書店の新刊台は歴史を歪曲する雑誌、書籍がうずたかく積まれており、よく売れている。「ネット右翼」への先入観からか、若年層が買い支えていると思いがちだがそうではない。たとえば某大手書店チェーンにおける『WiLL』11月号を購入した年齢層は、約半数が50歳以上。残り4割を30?40歳代が占め、20歳代は一割にも満たない。これは本誌の読者層とほぼ重なり、男女比率も同様だ。こうした書物をかつての同級生が手に取り、レジに向かう姿を思うとなんとも気が重くなってくる。
『特別編集「従軍慰安婦」問題』は、本誌再録を中心とした構成ですが、「慰安婦」問題をめぐる資料をあらたに加えました。歴史を正面から見据えた類誌はなく、金曜日としては、超強気の初版部数です。なお定期購読の誌代には含まれておりません。店頭にない場合は、定期購読に同封したチラシを持参のうえ書店にご注文ください。「歴史修正主義」が跋扈する店頭状況を変えるためにも、ぜひ書店にてお求めください。(町田明穂)