週刊金曜日 編集後記

1015号

▼『神奈川新聞』インタビューでの辺見庸さんの言葉が鋭く重い。〈現在は平時か。僕は戦時だと思っています。あなたが平時だと思うなら、反論してください。でないと議論はかみあわない〉〈日中戦争の始まり、あるいは盧溝橋事件。われわれの親の世代はその時、日常生活が1センチでも変わったかどうか。変わっていないはずです。あれは歴史的瞬間だったが、誰もそれを深く考えようとしなかった〉(URL http://www.kanaloco.jp/article/62117/cms_id/61908)
 特集で示したように「この国のかたち」が急速に替わっている。それなのに危機意識は広く共有されていない。自覚的かどうかは別として、「戦争」を後押ししているとしか思えないメディアも多い。
「まず、総理から前線へ。」のコピーを書いたのは糸井重里さんだった。威勢の良い言葉を振りかざしている人たちは、戦争の実態をどれほど真剣に考えているのだろうか。「殺す」「殺される」ことを具体的に思い描いているのか。小誌は、考える材料を読者に提供し続けてゆきたい。(伊田浩之)

▼「慰安婦」問題というものを初めて身をもって知ったのは、大学生の頃だったと思う。確かその時も、元「慰安婦」だった女性は、「“嘘つき” と呼ばれる」と言っていた。「慰安婦」問題などなかったかのように言うのは、10年経った今も同じだ。
 当時、大学の授業で「Journalism」は日々(jour)発行されるもの、つまり「日記」にism(主義)が付いた概念だと学んだ。その時は、academismとの比較して、学術的・歴史学的検証はアカデミズムの役割、ジャーナリズムは、とにかく日々の出来事を記録していくことが第一義であると理解した。とすれば、名乗りを上げた元「慰安婦」の女性たちの証言や行動を記録し、報じていくことこそがジャーナリズムの役目だったはずだ。
 今また、「慰安婦」の存在そのものが揺らいでいる。現在の「慰安婦」問題を巡るこの状況を記録し続けることが、本誌の役目だろう。「慰安婦」問題の臨時増刊号も好評発売中です。(弓削田理絵)

▼台湾の「ヒマワリ学生運動」、香港の「雨傘革命」と、日本の周辺で気になる事態が起きています。後者はまだまだ進行中(10月31日時点)。多くの人の頭をよぎったのが、天安門事件(1989年)のようなことが起きないか――だと思います。「学生たちの訴えはことごとく無視され、疲弊させられ、天安門の二の舞にはならないだろう」と見る向きが多いので、そこは一安心といえば一安心ですが、同時に「無視」というのも何だかなあという感じ。
 ヒマワリ学生運動のほうは、台湾内でもいろいろな評価がされているようです。それは日本でも、「社会のことを何も知らないくせに」と、訳知り顔で大人が若者を諭したりするのと似ているのかもしれません。個人的には、「崩世代」と呼ばれる若者たちの鬱屈した叫びなのだと思いたい(もちろん予断は禁物ですが)。今年、相前後してこれらの活動が起きたことは、歴史的に見て何らかの意味を持つのではないかと思っております。(渡辺妙子)

▼フィギュアスケートの高橋大輔選手が引退した。選手生命が危ぶまれるほどの大けがを克服し、五輪で日本男子シングル初の銅メダルを獲得した名選手であった。代名詞とも言える華麗なステップワークが見納めだと思うと寂しいが、これからは私の好きなプルシェンコ選手と共にプロスケーターとして観客を魅了してくれるだろう。
 高橋選手も活躍したグランプリシリーズ(世界を転戦し、上位6名がグランプリファイナルと呼ばれる決勝大会に出場できる)が10月に開幕した。今季初戦のスケートアメリカ大会は、高橋選手引退もあって気乗りしなかったが、注目の選手がいた。町田樹選手だ。初プログラムにもかかわらず、キレのあるジャンプを披露したのには驚いた。ここ数年、急激に力をつけた選手で、羽生結弦選手とのライバル対決が楽しみだ。12月まで見逃せない大会が続くが、11月13日は東京・文京区民センターの「従軍慰安婦」問題を考えるシンポジウムに専念したい。10月29日臨時増刊号など販売します。ご来場お待ちしております。(原口広矢)