週刊金曜日 編集後記

1022号

▼「世の中がきな臭くなってきた」と言いつつ、デパ地下などを歩き華やかな雰囲気に身を置くと「この光景がなくなるなんて信じられない、もう戦争までは起きないだろう」とつい、思うことがあった。
 中島京子さんの『小さいおうち』を読んだときは衝撃だった。戦前の庶民の生活。日中戦争が始まっても、戦争はどこか他人事だった。それどころか好景気に沸き、デパートは連日大賑わい。「そうか、そうだったんだ」と気づく。戦闘の事実は市井の人からは戦況が泥沼になっても尚、遠いままだった。幸せな日常と戦争は、「容易に共存したまま状況は進んだ」のだ。
 作家は時代の危機を見通す「炭鉱のカナリア」だと言う。ただ、それは才能だけではないだろう。中島さんは『小さいおうち』を書くにあたり、「日本人は、戦争で何をしたのか」を徹底的に調べ、勉強したという。(小長光哲郎)

▼日韓国交正常化から50年の今年が、日韓関係を改善する「ゴールデンタイム」だ――。改善の兆しが見えない日韓関係を憂慮し、韓国メディアや専門家がこんなことを強調し始めている。だが両国が席替えのきかないお隣同士であるのと同じで、安倍首相と朴大統領を首脳とする日韓関係はしばらく替えがきかない。内閣府が昨年末に発表した世論調査では、韓国に「親しみを感じない」との回答が調査開始以来の高さを記録したし、民間、政治レベルともに関係は冷え込んでいるように見える。
 ただ、昨年末に韓国に遊びにいった時には、「さすがイルボン(日本)」「オイがありません(あきれた)」などと部分的に日本語を混ぜて会話を楽しむ若者たちの姿を目にした。日本の一部報道や本、嫌韓サイトなどを見ると韓国で「反日」が進んでいるように思えるがそうではないのだ。こんな状況に際して私個人ができることは少ないが、まずは電車の吊り広告にある嫌韓をあおる記事をなくすことから目標に始めたい。(渡部睦美)

▼2014年大:日の「紅白歌合戦」で、「サザンオールスターズ」のボーカル・桑田佳祐さんが歌った「ピースとハイライト」が話題になっている。是非や好き嫌いは全曲を聴いて判断していただくしかないが、ロックと社会批判はもともと昵懇。〈都合のいい大義名分(かいしゃく)で/争いを仕掛けて/裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)/20世紀で懲りたはずでしょう?/燻る火種が燃え上がるだけ〉 など風刺性は強いが、メロディーなどエンターテインメント性との両立はさすがと思った。
 この曲について桑田さんはインタビューで「平和的な歩み寄りを政治家の皆さんがやってくれないかなという願いがありまして」(『tower+』2013年8月10日号)と語っているが、紅白を機にインターネット上では、サザンが反日的だとする非難が急速に広まり、「桑田は在日だ」との主張も出ている。裸の王様批判をすれば「反日」とは恐れ入るが、こうした人たちに届く言葉を今年はさらに模索し続けたい。(伊田浩之)

▼元旦の『朝日新聞』の社説は「グローバル時代の歴史『自虐』や『自尊』を超えて」と題するもので、中立的な立場をとりたいという願望が透けて見える。しかし、ここで使われている「自虐」とはいったいなんだろうか。それを超えようということは、「自虐」史観というものがあり得ると考えなければでてこない言葉だ。こうして歴史修正主義者の土俵にのりつつ、もっともらしく国ごとの歴史(ナショナル・ヒストリー)を斥け、グローバル・ヒストリーを持ち出して中立をよそおう。しかし皮肉にも韓国・中国の方が日本よりナショナル・ヒストリーに「もっとこだわりが強いようにさえ見える」と言い放つことで、歴史修正主義が蔓延し、歴史修正主義者の首相が再選される日本社会をまったく問わないどころか、軋轢の責任を被害国に押しつける自身の偏向ぶりが露わになっている。敗戦から70年という節目の年、偏向しながらも中立をよそおう言説を警戒する必要がある。(原田成人)