1023号
2015年01月16日
▼斎藤環さんの著作を初めて読んで「会って話がしてみたい!!」と勝手に思い、先生の診療所に押しかけたのが約5年前。編集部に異動し、やりたいことの一つが斎藤さんの責任編集でした。
誌面化に至るまでの間、斎藤さんの方はヤンキー文化について書かれた『世界が土曜の夜の夢なら』が注目されたり、筑波大学大学院の教授もお引き受けになるなど、ただでさえご多忙な先生がより一層ご多忙になり、お時間がいただきにくくなってしまい……(泣)。そんな中、斎藤さんが「努力は才能なのか?」ということについて、ツイートしたことがきっかけで今回の特集が誕生しました。
未来に対してある種の“諦め”がありつつ、自己の承認を他者に依存する若者たち。私自身、周りの何気ない一言が支えになったことがたくさんあります。斎藤さんが提示する「大人の処方箋」に自分がなれるのか。努力していきます!(赤岩友香)
▼辺見庸さんと本誌編集委員・佐高信さんの対談本『絶望という抵抗』(金曜日刊)の売れ行きが好調だ。同じく弊社刊の『ピケティ入門』(竹信三恵子著)とともに、東京都内のいくつかの有名書店で部門上位にランク入りしているという。2014年末の衆院選で戦争準備政権が継続したことへの危機感が読み取れるようだ。2015年はその政権による「積極的平和主義」と称する戦争参加準備が本格化する。歴史偽造主義も跋扈するだろう。
その画期となる本年1月から、『週刊金曜日』で辺見さんの連載が始まる。連載タイトルには「1937」を掲げる。あの南京大虐殺の年。(某大臣発言のように)ナチスドイツに倣ったとされる「国民精神総動員」実施要綱が(集団的自衛権行使のように)閣議決定された年。穏やかな顔をした狂気のファシズムと、政府とメディア合作の(今と見紛う)虚偽と憎悪の言説に沸き返った年。連載開始は30日号の予定だ。(片岡伸行)
▼1920年元旦付の『先島新聞』(沖縄の八重山で発刊)には「日本国民なれば断然旧正月を廃せ」と題する記事がある。一節を引く。
〈公然と旧正月を祝ひ、新の正月はそつちのけにしてお構いなしの奴が多い。夫れでも国民といはれやうか。天皇陛下を初め奉つり国家に対して済むと思ふのか。だから世間から野蛮と罵倒せられるのだ。人間らしい魂があるならチト恥かしく覚れ(中略)非国民式の旧正月を祝ふなどの蛮的行為(中略)恁る馬鹿なまねをして何んの益が(中略)八重山の文化を妨げるのであるぞ〉(ルビは筆者)
これを読むたびに元気がわく。執筆者が怒るほど、その滑稽さが際立つからだ。新暦(つまり日本政府の意向)に従わず旧暦に依る現地の人々は、どう罵倒されても何なりと明け暮らしてきた。その証左に沖縄には、“旧正” を祝う風習が今も息づいている。(内原英聡)
▼小社刊『絶望という抵抗』を改めて読み直す。第1章のIT化による人間の内面の変化、それがもたらす安倍的ファシズムへのくだりが圧巻であり、大いに合点がいくものだった。
前の職場でパソコンが導入されたのは、90年代半ば。まだ「業務の効率化」などというお題目のない時代、もの珍しさから嬉々として取り組んだ。なぜかローマ字のキーボードをたたき、目は疲れても画面との「にらめっこ」を続けた。そしてある日、この機械がないと仕事にならなくなっていた。ソフトとハードの更新、それに伴う諸々の費用と打合せ。人減らしは進み余裕が消えた。気がつけばカネも時間も支配されている。
最近の通勤電車。座席の端から端、揃ってスマートフォンに熱中する風景は日常だ。驚くべきは「スマホ」を見つめる若い夫妻のその前に、乳母車の乳児がそれを握りしめていたこと――。辺見さんが語る「楽天的にすぎる。危険性のほうを直視していない」が痛く刺さった。(町田明穂)