1024号
2015年01月23日
▼「第二次大戦をくぐりぬけた文学者のうち思想的な負債の概して少なかった文学者に指を屈するとすれば、だいいちに、小林秀雄をあげなければならない」(『擬制の終焉』収載「小林秀雄 その方法」冒頭より)――学生時代に小林秀雄を読むようになったきっかけは、吉本隆明のこの論考だったと思う。
戦争をめぐる小林については、さまざまな評価があるが、今回の対談で大澤信亮さんや若松英輔さんが力説するように、戦時中も含め、小林の言葉は表面に現れているものよりも奥深いから、余白を読む力が求められる。私自身、読み返す度に、以前は気付かなかった含蓄を発見して驚くことが多い。
ちなみに、若松さんの小林論連載が始まった『文學界』最新号を買おうとしたら、どこにもない!
同号に“ピースの又吉”の小説が掲載されたためだそうだ。『文學界』は、大澤さんが『新潮』連載で章を割くほどに、小林本人も深く関わった雑誌だが、増刷は創刊(1933年)以来初めてとか。これも何かの縁か。(山村清二)
▼現役の高校生とベートーベンの第九を歌う機会に恵まれた。周年行事のお手伝いという位置づけだ。
高校生を中心としながらも同窓生や保護者を含む80代までの総勢200人の即席合唱団が壇上に並び、オーラ漂う歌姫たちが颯爽と姿を現すと、会場は驚きと興奮に包まれた。第九を選んだ指揮者は、“普通の公立校の授業でこの大曲を歌い上げることに意味がある”とおっしゃっていた。「1万人の第九」があるくらいだから、特別な音楽教育を受けた人たちの専売特許となるような曲ではない。
実は大人たちの最後のリハーサルでは、シラーの詩を高らかに歌えない自分がいた。胸がつかえて歌詞が声にならず、苦い涙をかみしめるだけだった。そういえばスケートの町田樹選手が現役最後に選んだフリーの曲が、第九だった。思い描く演技ができなかった町田選手が「偉大な壁」と言うのをきいて、私はおちゃらけた気持ちでいたっけ。恥ずかしい。
演奏後の惜しみない拍手がよけい胸にしみた。(小林和子)
▼映画館に身体を運ぶ回数がめっきり減ってしまった。結局、全体的な「体力」が下がってきている。このようでは、恒例「誰かは待っていた映画ベストファイブ」なんて発表できないではないか。来年からは映画館に限らずDVDも入れてしまおう。ああ、堕落だ。
『ゼロ・ダーク・サーティ』『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』『悪童日記』『ジャージー・ボーイズ』『紙の月』。
フィリップ・シーモア・ホフマンそしてロビン・ウィリアムズが亡くなった。哀しい。哀しいけど、こいつらも死んでいったんだからと、おのれの死が少し楽になっていく錯覚を覚える。
『紙の月』の梨花の疾走は美しかった。逃げる姿はときに感動を呼ぶ。最後に死んだり殺されたりはもうたくさん。だからこそ『ゲッタウェイ』は傑作なのである。
奥田英朗の『ナオミとカナコ』、逃げに逃げるすばらしさ。『テルマ&ルイーズ』だって最後に車の両脇から翼が出るんだ。きっとそうに違いない。(土井伸一郎)
▼先日まで「インフルエンザにかかろうが会社は休むな、床を這ってでも出社しろ」という根性論、精神論の持ち主だったが、この正月、その考えを改めた。
日頃の不摂生が祟ったのだろう、5年ぶりに自身がインフルエンザに。四日間寝たきりでベッドから立つこともできず、頭痛と筋肉痛の激しさは私の精神さえも蝕んだ。これがインフルエンザの恐怖。“気合い”で会社になど行けない。きっと5年前も同じ事を感じたはずなのに同じ苦しみを味わわなければそれを思い出せない。
戦後70年、阪神・淡路大震災、オウム事件20年など今年はいろいろと節目の年。歴史歪曲主義者が跋扈する今だからこそ正確な歴史を伝え、学び、常に想像力を働かせることの重要さを痛感する。
閑話休題。全快し、晴れて1月10日にさいたまスーパーアリーナで行なわれたアイドルグループ『BABYMETAL』のライブに参戦することができたが、よくよく考えたらインフルでもこれには“気合い”で行けたな……。(尹史承)