週刊金曜日 編集後記

1034号

▼米P&G社の生理用品Always のCMをご存じだろうか(Always #LikeAGirlで検索すると見られる)。まず、思春期以後の若者らに対し「女の子みたいに」という前置きで「走って」「戦って」「投げて」と言うと、誰もが内股で走ったりなよなよと手をふったりする。だが、もっと小さい少女たちは違う。全力疾走し、全身を使ってパンチを繰り出す。特に「女の子みたいに走るってどういう意味?」と訊かれ「できるだけ速く走ること」と答えた一番小さい女の子の真剣なまなざしに心打たれる。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」を体現したようなこのCM、ニュースサイト「ウートピ」によると「約半数の女の子たちの自信は思春期になると急落」するとの研究結果を元に作られたそうで、監督は「女の子みたい」が「侮辱のための表現ではあってはなりません」「それは強いことであり、才能があることであり、素晴らしいこと」と語っている。
 これこそ女性を元気にして企業印象を高めるCM。CM動画が女性を怒らせ炎上したルミネさん、猛勉強してください。(宮本有紀)

▼伊勢にはじめて行った。もちろん、伊勢神宮にも立ち寄った。式年遷宮で何がどう新しくなったのか、見てみたかったのだ。その話を実家でしたところ、山形に住んでいた母方の曾祖父が伊勢神宮で神主になるための勉強をしていたこと、その後、広島や満州・旅順で国語の教師をしたのち、大連神社で神主をしていたことがわかった。天照大神を祭り、中国侵略の中心的働きをした神社である。しかし、その反省を伊勢神宮の中で目にすることはなかった。
 さて式年遷宮とは、神宮にあった説明によると「奈良の大寺院などのように非常に高い建築技術があったにもかかわらず、あえて耐久性の低いこの様式(唯一神明造)を残」し、20年に一度「遷宮を行うことで、神宮は最も古く最も新しく生き続ける」とあった。膨大な労力を要する遷宮を繰り返すことで、国家の威容を人々の間に生かし続けるためのセレモニーなのだろう。過去の過ちも遷宮できれいさっぱりと忘れられてしまったのか。日本人のメンタリティーの源を見たような気がした。(吉田亮子)

▼甲子園とか高校野球とか、およそ野球に興味がない私も(ダルビッシュは別)、台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』には熱くなってしまいました(以下、本編のネタバレも含みます)。
 この映画は日本統治下の1931年に甲子園に出場した台湾の嘉義農林学校(嘉農=KANO)野球部を描いたもので、実話だそうです。近藤兵太郎の監督就任をきっかけに、ポンコツ野球部が力をつけ、1931年についに甲子園に初出場。順調に勝ち進みますが、決勝戦で中京商業に敗れ準優勝という結果に。映画もここで終わります。しかし嘉義農林はその後も甲子園に何度か出場し、メンバーの多くは日本や台湾の野球界に大きな足跡を残したとのことで、野球という側面から戦中・戦後の日台の歴史に光を当てた作品です。
 ところで映画の中で、嘉義農林の甲子園初試合のひとつ前の試合は、札幌商業対大連商業。これはもちろん、当時の日本の同化政策の反映であることを忘れてはならないですが、WBCのアジア版だ?と思いました。(渡辺妙子)

▼昨年、本誌連載中も含め二度にわたって逮捕された、ろくでなし子さんの『ワイセツって何ですか?』が単行本化されました。逮捕、拘留から留置所での生活、そして「まんこアーティスト」になった経緯を脱力系の漫画で描いています。私自身、刷り上がった見本を帰宅途中に目を通して、電車内で笑いを堪えるのに必死でした。一方、本誌の読者のなかには、こうした作品に眉をひそめる方もいらっしゃいます。しかし本書は「表現の自由」や「人権問題」をはらんだ至って真面目な作品です。園子温監督との対談や、担当弁護士等の寄稿がそのことを補完していますので、ご一読いただければ幸いです。なお、ろくでなし子さんの初公判を受けた報告集会を以下の通り緊急開催します。4月16日(木)18時半?(18時開場)東京・千代田区の日本教育会館 第2会議室にて参加費1000円。当日はご本人をはじめ、担当弁護団、現代美術作家の柴田英里さんの登壇を予定しています。詳細は次号 “『週刊金曜日』からのお知らせ”にてご案内します。(町田明穂)