週刊金曜日 編集後記

1041号

▼安保法制の動きを取材するなかで、いくつか脳裏に焼きついた言葉がある。ひとつは外務省関係者があけすけに語った次のもの。
「軍隊は外交の道具。外交上、必要が生じれば死んでもらわなきゃならないときだってある」
 言葉の意味より、その文言を吐く口先のなめらかさ、澱みのなさに面食らった。
 後日、知人の官邸担当記者とお茶していたら、こんな話を始めた。
「安保法制の議論は次から次に新しい概念が出てきて、もうわからない。お手上げ。内容をきちんと理解して記事を書いている新聞記者は少ないんじゃないか」
 情けないことだが、この記者の気持ちは痛いほどわかった。限定容認? 存立危機事態? 関連資料を読んでいても、ところどころでつまずき、想像してはみるけれど、どうもすっきりしない。
 たしかなこともある。外交の道具として死のリスクを負う自衛隊員が確実に増えること。一方で、安保を論じる先の外務省関係者も、お手上げの官邸担当記者も、そして私も、自分はそんな危ない場には行かないんだと、どこかで信じていることだ。(野中大樹)

▼日本は敗戦後70年、かろうじて世界に対して「平和と非暴力の国」というイメージを保持してきた。そう思われてきたのは日本国憲法9条(戦争の放棄)による現実政治への歯止めがあったからだ。
 ところが、一政権で勝手に憲法解釈を変えようとする暴力的な安倍政権は「安全」だの「平和」だのといった虚言を弄し、その歯止めを破壊しようとしている。唯一世界に誇れる「平和と非暴力」のイメージを、米国支援の戦争という血なまぐさいドブに捨てようとしている。この明白な憲法違反を止める手立てはないのか。国会の多数に驕り、財界を後ろ盾にして平和主義に血と泥を塗ろうとする“犯罪的な”自民・公明政権を、数ではなく公正さを基準とした法廷に引き出す術はないものか。
 新聞の世論調査では軒並み、戦争法制(安全保障法制)に「反対」が5割超で、「賛成」(3割前後)を大きく引き離している。今週号にも登場している多くの識者や民意の警告を無視する安倍政権の企てを敗北に終わらせなければ、民主主義は死ぬ。(片岡伸行)

▼「脱・混迷ニッポン」で取りあげた松野哲二さんは、チマ・チョゴリ友の会の責任も担っている。20日は、東京朝鮮高校の生徒たちが原告となって高校無償化からの除外の違法性を訴えている裁判を傍聴。この日は原告が、自民党は政権復帰前から朝鮮学校への「高校無償化」制度適用審査の結果が出れば適用となるという認識のもと審査自体を打ち切るための法令改定を目論んでいた、下村博文文科大臣らが審査会の意見を聞かずに政治的思惑で省令を変えたことは高校無償化法の目的・趣旨に反する、などと陳述したという。下村氏はシャドウ・キャビネット文科大臣時代に、その旨を発言していた。次回裁判は9月19日13時半?、101法廷にて。(吉田亮子)

▼先日、関西のローカルテレビで、東京では見られない、なつかしい上方落語家たちの元気な姿を見た。その芸人さんたちが、「都構想」の論戦に一役買った話を聞いた。西川きよしさんの参院選得票数に因んで「お笑い100万票」という言葉が大阪にあり、橋下大阪市長もその流れだそうだ。
 お笑い界は賛成派ばかりかと思っていたが、笑福亭竹林さんら、反対派が多いことも聞いた。「子どもは、しょせん、恐怖心でしかコントロールできない」という発言を聞き、橋下氏の危うさにいち早く気づいた竹林さんは“ハシズム落語”を創作し、演じてきた。
「課題は山積やのに上から目線で話し合いもできへんオッサンだらけ。橋下さん、悪いけどオッサン政治家の典型やった」と歯切れがよい谷口真由美さん(全日本おばちゃん党代表代行)にも共感。「散り際が潔い」との評価もある橋下さん。これからもテレビに出まくって政界復帰を目指すのかもしれないが、再び強い権力を持つことだけはやめてほしい。(神原由美)