週刊金曜日 編集後記

1042号

▼「うそのれきしをすみでけし にせのどうとくをやぶりすて~た~」
 3年前に亡くなった林光さんの作詞・作曲『敗戦のこども』をいま、「自由の風の歌10合唱団」は練習している。
「て~た~」はシンコペーションだから、もともと強く打ち出すようにと指揮者の方は指導されているが、このフレーズにくると歌っている人は思わず力が入ってしまうようだ。戦前に見紛う現在進行形の教育支配を思い浮かべてしまうからか。何しろ団員は教職員の方が多いから。
 この合唱団は、「君が代」不起立の被処分者を支援するために発足したもので、毎年7月にコンサートを開く(今年は7月20日、四谷区民ホール)。ここのところ、東京では関連の訴訟で勝訴が続いた。世間の関心が薄れていくことに心細さを感じていたので、うれしいニュースだ。
 安倍首相の「教育再生」も正直、かなり効いてきたように思う。力まず、焦らず、知恵を絞って対抗していきたい。(小林和子)

▼寡聞にして自民党の党員資格要件が何たるかを存ぜぬが、そこには「恥知らずたること」とでもいうような項目でもあるのだろうか。またぞろ自主憲法などと唱えている様から、そのように推認するなという方が無理だ。何しろ口が裂けても「自主外交」などと言ったためしがない連中が、憲法に限ると突如「自主」に転じるからだ。理由がふるっていて、頭目の三代目世襲政治屋によれば、「憲法は占領国が作った」からだと。だが、その旧占領国の公開文書によると、自民党の結成時に当該国の諜報機関から資金が流れていた。三代目の初代は、占領後も現宗主国に「言うことを聞くから」と、カネを無心していた事実が同国出版の本で暴露されている。三代目はこれまでの従属ぶりでも飽き足らぬのか、宗主国に詣で媚態の限りを尽くし、自衛隊を傭兵として差し出すと言明した。「自主憲法」とやらを口にしそうな「ナショナリスト」の基準だと、自民党こそ「自主」どころか「売国奴」と呼ぶのではないのか。(成澤宗男)

▼5月30日、JR東日本・山手線の某駅は人でごった返していた。この日、小笠原沖地震の影響で山手線は約3時間運転を見合わせた。「振替乗車をご利用ください」との車内アナウンスが繰り返される。重い腰を上げ、改札で振替乗車票をもらいたいと申し出た。
 ところが......。定期区間内または乗車と下車駅が記された切符がないと票はもらえないという。ICカードの入場記録しかない私には何の保障もない。追加で乗換運賃を払うしかない。後日、災害時さえも保障されないのか問い合わせたが、「通常時も災害時も保障されません」との答え。同制度への苦情が多く来るが、見直しを検討するということもないようだ。
 一方、JR西日本は、「すべてJR西日本の責任と考え、入場記録さえあれば、振替乗車賃はこちらで負担いたします」という。こうも会社によって違うものか。怒ってはみても、複数の路線を独占するJR東日本を使わずに生活はできない。利用したければ、従えということなのか。(渡部睦美)

▼「休みはどこか行くの?」連休前になるとお決まりの会話が始まる。連休中はテレビも行楽地の混雑状況一色になる。本多勝一編集委員言うところの横並びの「めだか社会」の象徴かもしれない。本多委員の最新刊『貧困なる精神26集』はいよいよ弊社から発売します。書店にご注文ください。
 私は「めだか」状態を避けて、振替休日に初めて八景島シーパラダイスに行った。イルカのジャンプも見てのんびり過ごしてきた。その後報じられたのがイルカ問題である。イルカの追い込み漁を問題視した世界動物園水族館協会が日本動物園水族館協会の会員資格を停止したことが事の発端であった。イルカは繁殖が困難で、入手は追い込み漁頼みだったため、各地の水族館は対応に苦慮しているそうだ。どうなるイルカ? なおシーパラではイルカと泳ぐプログラムに心動いたが「イルカに乗った中年」では絵にならないと思い自重することにした。(原口広矢)