週刊金曜日 編集後記

1055号

▼「わしは国のため日本人みんなのために死ねればほんもうじゃ」と語る長男に父親が拳骨をふるう。「お おまえ この戦争が日本人みんなのためになっているとおもっているのかっ」「ひとにぎりの金持ちがもうけるため国民のわしらになにひとつ相談もなくかってにはじめたのだ」「わしはぜったいに戦場へいかさん」「わしの宝を戦争で殺されてたまるかっ」
『はだしのゲン』(中沢啓治著)の一場面である。この漫画は、島根県松江市教育委員会が残虐な描写などを理由に子どもたちが自由に閲覧できない閉架図書にするよう要請し、2013年に再び注目された。冒頭のように"戦争の本質"が描かれているのも、一部の人は気にくわないのではないか。
 安倍晋三首相は昨年、北大西洋条約機構(NATO)加盟国を歴訪、防衛装備品の共同開発で協力関係強化を働き掛けた。<防衛産業を成長戦略の「切り札」(官邸筋)とする狙い>(『東京新聞』14年5月8日朝刊)だ。やはりカネか。一握りの金持ちのための戦争法案に反対の声が強まっている。 (伊田浩之)

▼人類が奴隷制度を廃止するまでに、どれほどの時間を要したのか。ともかくも公式には認められない制度にはなったが、廃止されるべき人間の行為として挙げられる筆頭は戦争だ。1928年のパリ不戦条約によって「戦争の違法化」は確認されたが、アイゼンハワーが退任演説で示したように、戦争で利益を得る勢力が国家権力を握っている限り、それは繰り返される。理性も、人間をして人間たらしめる良心もこの連中には通用しないことは、12年前のイラク戦争で証明済みだ。今回の戦争法案も、突き詰めれば彼らの策謀の延長上にある。そして彼らが君臨する「宗主国」におもねることが何よりの悦楽らしいこの国の卑小な権力者に道義が通用しないのは、理の必然なのだ。だが、殺し、殺されるという戦争という悪が、未来永劫に続いていいはずがない。その悪に立ち向かう私たちに与えられた手段は、それでも理性と良心しか残されていないのだろう。そして戦争が人間の行為の結果である限り、それは人間によって廃絶可能であるという確信を、絶やさず持ち続けるしかない。(成澤宗男)

▼この夏、朝鮮学校関連の書籍が相次いで出版された。1冊目は、『朝鮮学校物語 あなたのとなりの「もうひとつの学校」』(『朝鮮学校物語』日本版編集委員会編、花伝社)。もとは朝鮮学校への支援が広がりつつある韓国で昨年出版、反響を受けて日本でも出版した。執筆はほとんどが日本で活動する在日朝鮮人や日本の専門家ら。マンガやQ&A、歴史解説、卒業生によるエッセイなどで読みやすい。
 もう1冊は、『高校無償化裁判 249人の朝鮮高校生 たたかいの記録』(月刊イオ編集部編、樹花舎)。13年1月に愛知と大阪ではじまった裁判は、広島、九州、東京へと広がり、原告となった現役高校生や卒業生は249人だそうだ。裁判で何を訴えているのか、日本政府が論点をどうすりかえているのかなどの解説もあり、裁判をみていく上でも参考になる。
 東京朝鮮高校生62人が国家賠償を求めて訴えた裁判の次回口頭弁論は、9月18日(金)13時半から東京地裁101号法廷で(傍聴券の抽選があるので12時45分集合とのこと)。 (吉田亮子)

▼目は虚ろで、口調はたどたどしい。見ているコチラがいたたまれなくなるような佐野研二郎氏の釈明(?)会見。私にとって五輪エンブレムが盗作であろうが、なかろうが、どうでもいいのだが、連日連夜、一連の騒動がニュースやワイドショーで垂れ流されるのには違和感を覚える。日本のマスコミはもっと他に報じるべきことがあるのではないか。ベルギーの劇場ロゴとモロ被りすることより、米国のアーミテージ・レポートとモロ被りすることのほうが余程深刻な問題であろう。安保法案こそ戦争推進国アメリカの模倣、追従に他ならない。安直なメディアはエンブレム盗作で日本の名誉が傷つけられたと騒ぎ立てるが、このままアメリカのモノマネをし、隷従していくようでは「日本の市民」そのものが傷つけられる事態になる。
 偽る人間の生態はみな同じか、国会答弁の安倍首相も目は虚ろで、意味不明な答弁に終始している。
 マスメディアの責任は重い。9月14日、弊社から臨時増刊『特別編集 戦争への不服従』が発売される。反転攻勢、これをささやかな抵抗にはしたくない。 (尹史承)