週刊金曜日 編集後記

1094号

▼SEALDsの奥田愛基さんの出演が「フジロックに政治を持ち込むな」とネットで批判された件。プロテストソングとかジョン・レノンとか持ち出して反論する気にもならない。ロック好きの一人としては「持ち込むべきとは言わないけど持ち込む人がいてもいいじゃん別に」と。それだけ。アジカン後藤の「うるさいよ、馬鹿」はちょーどいい反応だったと思う。
 本誌でもときどき、芸能人や 音楽家に取材や原稿の依頼をすることがある。他の雑誌ほど引き受けてくれないのはご想像の通り(ため息)。ある事務所の返事には絶句した。「おたく、政治的な雑誌ですよね」。質問ではなく、なぜか詰問口調。受けられるかよ、ヘンな話を「持ち込むな」ということだろう。これは極端な例だが、ああ、避けたい(逃げたい)んだなと感じることはたびたび。「そういうことは作品の中で伝えていきたい」も断りの常套句。ある程度のスターや人気バンドはスタッフなど多くの関係者の生活もかかる。なので慎重になる気持ちはわかる。だからこそ、発言する人の勇気と強さを思う。(小長光哲郎)

▼英国の欧州連合(EU)離脱を問う国民投票で、離脱票が残留票を上回った。この事実は、世界を被う閉塞感の象徴として歴史の転換点になるのだろうか。
 自由と参政権は、僕らにとって、何ものにも代えがたい価値あるものだ。この国では今、憲法の危機が叫ばれている。今さらながら、あらためて歴史を学び直したい。青臭いくらいに「自由」と「平等」と「民主主義」を考え抜きたい。歴史の潮流は5年から10年程度の短いスパンでは変化は感じられないかもしれないが、木を植えるように50年から100 年後の次の時代の人たちをイメージし、進むべき道を選択することが「人類の知性」だと思う。個人的には「人類はバカではない」と思いたい。
 週末、図書館でたまたま見つけた『人口減少×デザイン――地域と日本の大問題を、データとデザイン思考で考える。』筧裕介=著(英治出版)に掲載されていたチャート(図・表・グラフ等)を眺めながら、この国の未来を想像する。誰もが歴史の通過点にいる。他人ごとではない。(本田政昭)

▼「くらしの泉」で連載していた佐々木典士さんの「ミニマリズム幸福論」、いかがでしたか? ミニマリストとは、モノを減らすことによって生まれた「持たない身軽さ」を、自覚的に人生に生かす人だという、新たな幸福の視座を教えてくれました。
 となると、巷間言われているような「ミニマリスト=何もない部屋に住んでいる人」というのは、ミニマリズムの一面にすぎないのでしょう。一方、「モノの多寡が幸せの尺度ではない」という考え方に対して、「それは持てる人の考え方だ」という意見も目にします。この振り幅の極端さが、今の日本の閉塞状態を現しているような気もします。
 さて今月からは、自称ひきこもり名人・勝山実さんの「バラ色のひきこもり」が始まります。勝山さんは現在44歳、高校3年生からと言いますから、約25年のひきこもりキャリアを持つ方です。「ひきこもり」と一口に言っても、その背景は人それぞれ違います。勝山さんの場合は、いったいどんな? 3カ月間の連載、ぜひぜひお楽しみに~。(渡辺妙子)

▼今年度、保育園の保護者会役員になったため、春と夏のイベントの役員仕事に追われたり、中学生生活初の定期テストや部活動の大会などのイベントも一応気にしていたり、もう身近なことで手一杯で、目の前のことで精一杯。
 最近耳にする「妊婦マークをつけての通勤が怖い」とか、「運動会の組体操がなかなかなくならない理由」とか、「選挙の時、投票所に本来小学生は入れなかったが(私は今までほとんど連れて行っていたが断られた経験がなかった)OKになった」とか、先日最終回だったドラマの「大人も間違える」「他人を許せる大人になってください」といったセリフのこととか、「フジロック(音楽イベント)」に関する、「音楽に政治をもちこむな」などという声があるということへの疑問(だいたい「フジロック」をわかっているのか?)とそれに対するミュージシャンや他の大人たちの意見を探して読むとか、考えたいことはあるのだけれど、とりあえず時間はどんどん過ぎていく。ああ、すぐに投票日も来てしまう。(佐藤恵)