週刊金曜日 編集後記

1111号

▼「あの人オーラが凄い」「最近あの歌手オーラ消えたね」なんて私たちはよく言う。でもそもそも、オーラって何なのか。別にその人自身が実際に何か発しているわけではなく、見てるこちらが勝手に作り上げてるもの、じゃないか。
 ただ、あの人だけは違った、と思う。平尾誠二さん。一度だけナマで見かけたことがある。学生の頃、原付バイクでしょっちゅうラグビー場に出かけた。スタンド席には座らず、最前列前の通路にヘルメットを置き、その上に腰掛けての観戦がお決まり。あるとき、周りの「平尾や!」の声に振り向くと、コートを纏った彼が観客席に入ってきた。息を呑むほどのオーラ、という以外の表現が、今でも思いつかない。あれは「平尾自身に」オーラがあった。たぶん。
 チーム作りをミックスジュースに譬えたり、独特の比喩を織り交ぜたその「言葉」が大好きだった。優勝請負人だったが、彼のオーラと言葉の力も大きかったのでは、と素人ながら想像する。もっと生きてほしかった。(小長光哲郎)

▼本誌10月21日号に掲載された亀山亮氏の「沖縄の記憶」には、沖縄女性史家の宮城晴美さんのコメントが載っている。
 宮城さんは、十数年前、東京・国立市の市民グループの学習会「沖縄の基地被害」に講師として沖縄から来てくれたことがあった。座間味島で「集団自決」のなかを生き抜き、実相を語ることなく亡くなった宮城さんの母親・初枝さんの話を緊張しながら聞き入ったことを思い出し、コメントとともに戦争の記憶を生きてきたお年寄りたちの想いを訴えるような写真に、見入ってしまった。
 当時、義務教育を受ける機会を失った子どもが多勢いたが、いま、那覇市にある「珊瑚舎スコーレ」には、その「子どもたち」であるおじぃ、おばぁが何人も学んでいるという。15年前に設立されたスコーレには、ほかに不登校の子どもたちも通っているが、子どもたちと学びあうおじぃ、おばぁの記憶に、二度と戦争の記憶が突き刺さることのない社会であることを祈りたい。(柳百合子)

▼「ばあさま一人の面倒もみきらんで、なんが福祉か! なんが介護か! なんが専門職か!」。
『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』鹿子裕文=著(ナナロク社)は、〈(著者と)知り合いでもないのに、この本を何冊も買って、友人知人に読ませたくなる〉ような人もいるくらいに面白く、また、この国の介護の世界の切実な現実を考えさせられる内容である。
 デイサービスの不備から行き場をなくしていた一人暮らしの女性との出会いから生まれた福岡の老人介護施設「よりあい」の人々が、森のような場所に出会い、必死にお金を集めながら特別養護老人ホームづくりに挑み、自分たちの居場所を手に入れるまでの実話だ。
 夏に帰省した折、森のような場所にある施設内のカフェを訪れてみた。あいにくお休みだったがその場に立てたことはよかった。やはり自然なものが側にあることで人は癒される。そして一人ひとりの人間が希望のタネなのだと、あえて楽観的に思う。(本田政昭)

▼無類の肉好きながら「糖質制限」をせず、食べ放題に夢中の業務部員H。健康診断で血液検査の結果票を渡され、医師に相談するよう言われたとのこと。検査票には4項目に「高」の文字が。いたって健康そうな彼のからだに何がおきたのか? かくいう私も悪玉コレステロールの数値が「高」いらしい。数値を下げるには薬を飲むしかないと主治医。だが待てよ、その薬。こんな時、頼りになるのが小社刊『新版のんではいけない薬』だ。読み返すとコレステロール低下剤は、ほとんど必要ないそうだ。
 昨今、週刊誌は空前の「薬」ブーム。『週刊ポスト』、『現代』に続き、『文春』まで「飲んではいけない薬」とやり出した。「薬」に関しては『週刊金曜日』が元祖だ。薬漬けの医療に警鐘を鳴らした小誌の連載で始まった単行本こそ『新版のんではいけない薬』である。残念ながら小誌の認知度は低いが、このような先見性のある記事も読める雑誌であると知人に勧めてみてはいかが。(原口広矢)