週刊金曜日 編集後記

1179号

▼NHKで放送されていた『シリーズ 人体』。出演者の山中伸弥氏が、「私が医学生のころ学んだことは何だったのか?」と何度も言うほどの「医療のナゾ解明」の進みっぷりに、驚きの連続だった。
 昔は人生50年と言われていたとか。私も気づけばその歳を超えた。この季節は花粉症の薬なしでは生きていけないわ、遠近両用眼鏡がなければ世界がぼんやりとしか見えないわ、という惨状を思えば、平均寿命が延びたのは薬や技術の進歩のおかげ、という論には納得。要するにそれがない時代だったら「生命体としてとっくにガタガタ」な私なのである。たは。
 ただこの先も順調に平均寿命が延び、人生100年時代が本当に来るのか、どうか。高度成長期以降、子どもの頃から添加物を大量摂取、ケータイ普及で電磁波を無防備に浴び続けている世代が、実はどれほどのダメージを体に受けていて、どれくらい長生きできるか、その答えはまだ誰も知らない。壮大な人体実験が絶賛継続中~ということかも。怖。(小長光哲郎)

▼「嗚呼、○○さんにも、××さんにも、あいさつできていない――」。2007年暮れ、前職の会社を辞める際、どれだけ自分が多くの人にお世話になってきたかを痛感し、片付けのため残っていた社内で1人涙したのが昨日のことのように思い起こされます。まさかまた同じ気持ちを味わうことになろうとは、このときは想像すらしていませんでした。
 この度、4月末で『週刊金曜日』を退職することになりました。在籍した年数は前職の倍以上。いただいた名刺を見返していくと、書店、取次、筆者、取材関係者......。たくさんの方々に助けられ、今日の自分がいることをあらためて感じています。
 そして、『週刊金曜日』を支えてくれている読者の方々。イベントなどで「赤岩さん」と、お声がけいただいたときは、とてもうれしかったです。
 本誌に関係しているすべての方々に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございます。(赤岩友香)

▼私のランチローテーションの1軒であった神保町「いもや」が、先月3月31日で閉じてしまった。
 高校時代、パチンコ「人生劇場」の裏手に天ぷら、とんかつの店が並んであった頃からの付きあいだから半世紀近く! そう思うと、腹のまわりの脂肪をつかみ、大半が「いもや」の油なんではないかと、少しコワい。
 20代の取次店時代は、もともと盛りのいいシャリなのにおかわりしていた。本誌の制作進行をしていた40代は、毎週火曜日の校了日、最後の校了紙をチャリンコで製版所に持って行ったあと、ひとり「お疲れさまとんかつ」で、お腹と心をいやした。
 白暖簾をたぐり扉をあけ、一歩店内に踏み込むとすぐ「とんかつですか?」と聞かれる(あとはヒレカツだけ)。聞かれる前に、ということは一歩踏み出す前に「とんかつください!」と言ってしまうのを密かな楽しみにしていた。
 前身は「大学いも」の店だったので「いもや」。キャベツにソースはかけない。(土井伸一郎)

▼自宅の最寄り駅である京王線仙川駅の改札をくぐると、真正面に桜の木が迎えてくれる。この桜の老木は以前、駅前開発で伐採計画がもちあがるなか、市民の署名運動による働きかけで存続が決まった地域のシンボル的存在だ。これを記念し駅前では毎年4月1日に地元学生やプロの音楽家による「夜桜コンサート」が開催され、今年も多くの来場者が訪れた。
 18回目を迎えるこのイベントは、数年前から福島県飯舘村の方を招き、互いに交流を深めるものになっている。昨年一部を除き避難指示が解除された飯舘村はこの日、小中学校が再開されていた。今年は、その子どもたちに向けてエールを送るという趣旨が謳われている。飯舘村からの招待者の挨拶は、それぞれの体験と胸の内を披露され心に残るものだった。ただその実際は現在も多くの方が県外に避難されたまま、かける言葉は容易に見つからない。桜吹雪に打たれるなか、目の前に流れる調べとともに飯舘に咲き誇る桜が見たいと思った。(町田明穂)