週刊金曜日 編集後記

1198号

▼前号8ページで脱原発の市民活動家・東井怜さん追悼の集いを報告したが、紙幅の都合で載せられなかったのが、「東電福島第二原発3号機の運転再開を問う住民投票」の話だ。発生当時国内最悪の原発事故だった1989年1月の同機再循環ポンプ破損事故。運転再開を画す東電に異を唱える地元富岡・楢葉両町民の住民投票請求が議会で否決され、住民意思を表明するぎりぎりの手段として挑戦したのが、90年10月実施の自主住民投票。これを強いリーダーシップで進めたのが東井さんだった。
 結果は、両町で投票総数1万55票、投票率58・1%中、再開に「同意しない」が5738票=57・0%と過半数を占めた。東電は結局、その住民意思を無視して再開を強行したが、このとき投票ハガキに書き込まれた約2000のコメントは、3・11で多くの住民が避難を強いられている今、一層胸に迫る。東井さん追悼を機に、そのコメントを収録した当時の報告集復刻の動きがある。いずれ紹介できればと思う。(山村清二)

▼前回も触れたけれど、本屋=書店のあり方が大きく変わりつつあることを実感する。
 取次の大手トーハンの店売がこの春なくなった。私が版元の営業時代、毎週のように通った水道橋駅近くの日販店売も、もうかなり前に店じまいしている(版元にとっても店売に独自の棚があるのは重要なのです)。
 取次の店売とは要するに「本屋さんのための本屋さん」。書店の人がお客さんからの注文や、自店の品揃えのために自転車かバイクにカゴを付け、仕入れに来る場所だ。神保町の「神田村」には、そのほか中小取次の店売が数多くある。一般の人は買えない。
 そうやって店の補充品や客注品を、何軒もの取次を回って買いそろえていくのは店の独自色を出すためにも大切な仕事だ。私が神田村にいた頃はそういった情景が日常だったけれど、店売が不要になりつつあると言うことは、店売のお客さんである書店がなくなっていること。その辺りの事情はまた書きたい。(土井伸一郎)

▼この夏、つれあいの実家を片付けるために北海道釧路へ行っていた。義父母が元気だったころは、釧路で空襲があったことなどを話してくれたなぁ、なんて思い出したのは、釧路空襲の資料集が何冊も出てきたから。軍需産業の盛んだった室蘭、根室、釧路への空襲はとくに大規模だったという。
 以前、誌面でとりあげた「桜隊」の追悼会が、今年は開催されないと少し前に報じられていた。広島の原爆で命を落とした移動劇団「桜隊」を追悼するために演劇関係者らが「桜隊原爆忌の会」を結成し、その悲劇を語り継いでいたが、会の中心メンバーが亡くなったり、高齢でとりやめたとか。
 戦争の悲劇を次世代がどう継承するのか、と言われて久しい。沖縄のひめゆりでは試みがはじまっていて頼もしい限り。(吉田亮子)

▼夏ドラマ進行中。『dele(ディーリー)』がやはり一番。キャストもストーリーも文句ありません。"朝ドラ同窓会"の『この世界の片隅に』はアニメであらすじを知っていることもあり、ドラマの世界が穏やかなだけに泣けてきます。
 企業再生ものは『ラストチャンス再生請負人』の方が、ファンドから従業員まで含めて関係者が広く描かれていて再生案も金融一辺倒ではなく多様で面白い。その分、危機的な会社にこんな社長がいなければ、いろんな思惑が交錯して大変なことになるだろうということは想像に難くありません。
『高嶺の花』は概ね満足。サイトに紹介されている生け花も素敵ですが、花よりも題字のインパクトにすっかりやられてしまっています。力強い筆文字。どなたか『週刊金曜日』もしくは『金曜日』を題字風に書いたものを送っていただければ(個人的に)とてもうれしいです。サイトで共有したり、もしかしてTシャツなどに出来ればすごいだろうな、などど妄想中。お待ちしています。(志水邦江)