週刊金曜日 編集後記

1212号

▼防衛省が奄美大島や宮古・八重山諸島で進める自衛隊の配備計画。石垣島では来年2月着工を目指す方針であることが明らかになったが、その理由は、環境アセス逃れのようだ(詳細は34頁)。大手紙も、来年4月以降は大規模開発も環境アセスの対象に含まれることが2月着工の背景にある旨を報じているが、現地で多くの反対や懸念があるのに、"駆け込み"で着工してしまおうという国の姿勢には誠実さのかけらもない。
「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」作の動画を見ると、市民の飲料水となる宮良川の2カ所の水源の涵養域(地下水を蓄える場所)に、陸自配備の予定地が含まれている。また、予定地に隣接する取水口は、毎日1700ヘクタールの農地に水を供給しているという。生活に直結する問題であり、企業であってもコンプライアンスの観点からアセス逃れは許されないはず。ましてやその規範となるべき国が進める事業だ。横暴はやめにしてほしい。(渡部睦美)

▼「大嘗祭という皇室の私的な行事」「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」「(宮内庁長官らに伝えたが)聞く耳を持たなかった」との秋篠宮の発言(11月22日)が波紋を呼んでいる。
 天皇の代替わりに伴う大嘗祭には二十数億円の税金が使われるらしい。この発言を「皇族による政治的な発言」「政治に口を出すのはよくない」と問題視する声もあるが、そもそも「皇室の私的な行事」に口とカネを出し政治的に利用してきたのは右翼・政治の側ではないか。戦前も現在も本質的に変わらない。それこそが問題だ。
 宮内庁によれば、皇族には年間約6億8800万円、うち秋篠宮家には6710万円の皇族費が支給されている。いいご身分だが、カネで口を封じるのは国家による人権侵害だろう。しかもテレビは娘の婚約のことばかり報じ、政府は大嘗祭発言を無視。文仁さんもバカにされたものである。一体何のための象徴なのか。(片岡伸行)

▼戦前の映画監督の伊丹万作が遺した有名な一節に、「だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らない」がある。伊丹は、「だまされた国民」の責任をも問うていた。無論、言論の自由がなく、情報が統制されていた戦前に「だまされ」ないのは至難だった。敗戦直後、「だまされた」側内で「何も知らされていなかった」という弁解が蔓延したが、あれから70年以上経った今も、歴史のデマ本で「だまされた国民」が続出しているのはなぜなのか。しかも、そこでは「大東亜共栄圏」だの「中国人によるテロ事件や挑発的行為」だのといった旧「だますもの」が使ったカビの生えたような虚言が、堂々と蘇生している。かつて「だまされた」と怒った「国民」に吹き込まれていたウソがまたぞろ復活し、新「だまされた国民」を生んでいる様は、戦後という時代の薄っぺらさの証明だ。だが、軽蔑の感情は何も解決しない。必要なのは、それでもウソを叩き続ける執拗さなのだろう。(成澤宗男)

▼「おかしいことはおかしいぞと声を上げなければおかしな世の中になっていく 今!その真っ只中!」という中吊りに惹かれた。ちょっとやばくないのかな? いまどき珍しいよな。『金曜日』的?と思ったら、やっぱり本誌2016年10月28日号で登場いただいていました。中吊り広告拒否を本誌で取り上げてから2年。1992年から社会問題をテーマに制作しているカレンダーは今年も健在。制作者の財津昌樹さんによると、今年は私鉄2社に申し込んだが広告の原案は通らなかったとのこと。見せてもらった案には2年前の「晋ちゃん」のような固有名詞はなかったのにもかかわらず。「安倍政権を思わせる内容だったからじゃないでしょうか」とのこと。状況は悪くなっていると感じた。
 カレンダーの問い合わせは(株)デザインスタジオドアーズ(TEL・03・5358・6677)まで。購読者の方は今号同封のチラシをご覧ください。(志水邦江)