週刊金曜日 編集後記

1275号

▼「緊急事態宣言」発令前夜だ。自民党改憲草案「緊急事態条項」の"地ならし"とさえ言える「宣言」の権限を、改正新型インフルエンザ等特措法の成立で、"独裁者"安倍晋三に与えた国会の罪は重い。
 驚くべきは法案に党として明確に反対したのは、共産党とれいわ新選組だけだったこと。反対どころか前のめりで改正に協力した旧民主党系グループの責任は重大だ。
 立憲民主党で唯一人反対票を投じ、3月24日に正式離党した山尾志桜里衆院議員が「筋」を通した分、「国対政治」の醜さが際立つ。
「報道の自由」への危機感が薄いメディアも同罪だ。民放の番組に内閣官房や厚生労働省がツイートで個々に反論する「異常」にも鈍感で、権力監視役には程遠い。
 封鎖を口にする小池百合子東京都知事の「首都戒厳令」に反対して3月28日に予定していた抗議集会の一つは、直前に会場閉鎖で中止になった。宣言発令となれば、アベ政治や都知事に反対する集会すべてが中止させられる。何より今以上の催し中止、閉店、解雇、倒産等で、感染以前に生活苦での生命危機が深刻化する。今、緊急なのは生活補償だろ!(山村清二)

▼新型コロナウイルスの感染拡大について、日本で感染がどれほど広がっているのか、公式に発表されている数字ははたして実態を正確に表しているのか。安倍政権下での数々の疑惑と考え合わせると疑問はつきない。3月28日、安倍首相が会見を行なった。大きく停滞する市民生活への対応として、ようやく現金給付への言及があった。だが感染拡大が問題になって数カ月が経過しているのに、給付について具体的な政策の発表はなにもない。一方で無利子・無担保融資、和牛商品券や旅行補助など首をかしげたくなるような政策提案だけは次々に出てきている。自力で生き残れないものは切り捨てるような、持てる者と持たざる者の選別が前提とされる政治だ。安倍首相や麻生副総理など戦前からの世襲政治家がその政治をになっているのは象徴的だ。
 収入が不安定だったり、日本国籍ではなかったりする人びとが補償もなく放り出されるようなことは絶対に許してはならない。自由の制限もやむを得ないとされる今だからこそ、すべての人の人権の尊重という原則に立つ政治が必要なのだと痛感する。(原田成人)

▼つれあいがキリスト教の牧師ということもあり、このコロナ騒ぎのなか、教会は礼拝を行なっているのか、とよく聞かれる。はい、受付での消毒はもちろん、礼拝堂を開け放し、椅子を最大限に離して設置し、間を空けて座るなど、工夫して行なっています。なるべく礼拝のみで帰り、イースターでの食事も今のところ中止である。
 イタリアでは、新型コロナの患者の臨終などに立ち会って感染、死亡したとみられるカトリックの聖職者がいると報じられた。ペストが大流行した14世紀、聖職者の死亡率は平均のおおよそ2倍、約60%だったという。当時、臨終のときに終油という儀式を受けなければ天国に行けないと信じられており、希望者が多かったからだ。
 当時でも感染することぐらいはわかっていたようだが、職務に忠実に、臨終に立ち会った聖職者も多かったのだろう。今の日本では、新型コロナの患者の臨終に家族でさえ立ち会えない場合があるとの報道も。不要不急の外出自粛と言われても、礼拝は必要だよなとか、頭がぐるぐるした週末だった。そんななか、根津公子さんのニュースはうれしかった!(6頁のアンテナ参照)。(吉田亮子)

▼「お花見を自粛願います」。3月30日朝、通勤途中にある東京・井の頭公園でこんな看板を見つけた。小池百合子都知事は、28、29両日の「不要不急の外出自粛」を都民に要請した。その関連で井の頭公園での花見も自粛要請となったわけだ。公園内のベンチには「立入禁止」と書かれた黄色いテープが貼られていた。29日は東京に大雪が降ったため、自粛要請がなくても、花見に訪れようとする人はいなかったとは思うが。例年とは違う春の訪れだ。
 新型コロナウイルス感染者が日本でもじわじわ増えてきている。今号では、在宅医療が専門の佐々木淳医師に新型コロナウイルスに感染しないために気をつけるべきことなどを聞き、Q&A方式にまとめた。正しい手洗いの方法やマスク装着方法などもイラスト入りで解説した。ジョンソン英首相は、専門家の助言を受け、「石鹸とお湯で、ハッピーバースデーの歌を2回歌えるぐらいの間、手を洗うこと」が最も重要と訴えた(『NNA EUROPE』3月4日)。そのジョンソン首相も感染した。それでも手洗いが重要なのは間違いない。(文聖姫)