週刊金曜日 編集後記

1330号

▼妹の一人息子が、6月に親族限定のささやかな結婚式を挙げます。昨夏に籍を入れたものの、コロナ禍ということもあり自粛していたのですが、どうやら一つの人生の決断をしたようです。
 コロナ感染の渦中にある東京人の私は必然的に「参列ご遠慮」の立場となり、その代わり新婦の姉から「お祝い動画を送ってほしい」と頼まれました。本人たちには内緒とのことで、近くの公園に出かけて撮影しました。
 大学時代からの友人の息子は、昨年結婚したとき、華燭の典を5月から11月に延ばして規模を縮小。もう一人の友人の姪も、延ばし延ばしの式を、今年のGWになんとか挙げたと聞きます。
 甥へのメッセージは、長々だと顰蹙を買うだろうから、ちょうど1分としました。幸せな家庭を築いてほしい。コロナ禍だからこそ、その思いはより強くなります。
「そういえばコロナ騒動のときは、こんなだったね」。そう互いに語り合える日がくることを願うしかありません。(秋山晴康)

▼代島治彦監督の長編ドキュメント映画『きみが死んだあとで』を見て強く感じたことは「内ゲバ」(当事者たちはそう呼ばない)のこと。死者は100人以上、これは世界の左翼史から見ても類を見ない、意図された組織的犯行だ。
「きみ」というのは、67年10・8、佐藤栄作の南ベトナム訪問阻止闘争の中、羽田空港、弁天橋で殺された山崎博昭さんのこと。映画は、大阪府立大手前高校から、京大や立命館にいった同窓生を中心に14人の語りで構成される。
 70年を境にセクトを抜けた人たちと、その後もセクトで闘った人の語り口が違うのだ。詩人の佐々木幹郎などは、どこか明るさがあるのに対して、赤松英一は言葉を慎重に選び、そして重い。山本義隆は言う「絶対正しい闘争方針なんかないんだ。僕にいわせりゃちょっとした違いなのに対立した」。『「全共闘」未完の総括』(世界書院)の中で内ゲバの重要性に言及しているのは、田原牧と重信房子だ。「内ゲバを乗り越える規範を練り上げ」なければ左翼運動の展望は拓けない。(土井伸一郎)

▼不要不急の外出自粛を求められる日々。「不要不急」を『広辞苑』でひくと「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」とある。とすると、感染症対策や、疲弊する人々の生活のための施策を最優先にすべき今、最も「不要不急」なのは改憲論議である。2000年に憲法調査会が設置されたときから、〈政局から離れた静かな環境での議論〉が前提とされてきたが、現在は「静かな環境」から程遠い。
 自民党政調会長の下村博文氏は「コロナのピンチをチャンスに」と本音を明かす。東日本大震災後は、ガソリン不足とそれによる震災関連死を緊急事態条項がないためと憲法のせいにしていた改憲派が、今回は感染症対策に関する失策を憲法のせいにして改憲に結びつけようとしている。筋違いも甚だしい。日本国憲法の要請に従い、人権を尊重する施政であったなら、病床不足や生活困難はこれほどひどくなかったはず。急ぎ変えなくてはならないのは憲法ではなく政権のほうである。(宮本有紀)

▼新型コロナウイルスの感染拡大で「ニューノーマル(新常態=新しい日常)」化が進む中、「以前はごく当たり前だった『ノーマル』な時間を忘れてほしくない」との思いを込め、4人の写真家(阿部健、野口健吾、オリヴィエ・ケルヴェンヌ、松井良寛)による写真展が東京・自由が丘駅近くのギャラリー「DIGINNER GALLERY(目黒区自由が丘1-11-2)」で6月13日まで開催中。11時~19時。月・火休。入場無料。
 本誌2020年10月23日号の写真企画「庵の人々」を撮影した野口健吾さんは、インドを旅した時に別々に知り合ったバックパッカーの男女それぞれの写真を1階に、そして2階には、その二人が出会い、子どもが生まれ、野外でキャンプをするありのままの日常を切り取った独特の空気感が漂う写真を展示していた。
 戦争でもないのに「それまで当たり前だった日常」が突如として奪われてしまった。地球規模でこの世界の「リセット」が始まっているような気がする。(本田政昭)