1337号
2021年07月16日
▼「数十年に一度」という言葉がいまや「新しい日常」として定着しつつある。「異常気象」に見舞われ続ける近年の日本。大雨特別警報が九州で相次いで出され、各地で被害が出ている。
静岡県熱海市で7月3日に発生した土石流災害の衝撃的な映像で「盛り土」問題が一気に浮上した。国土交通省は9日、国土地理院が提供するデジタル地図を活用した盛り土の全国調査を行なうと発表。過去のデジタル地図と比較的新しいデジタル地図を比較。盛り土が行なわれた可能性がある箇所を洗い出し、8月下旬をめどに関係省庁や自治体に提供する予定だという。
「4年に一度」の五輪で IOC(国際オリンピック委員会)は、たとえ無観客でも多額の放映権料を受け取ることができる。決勝など目玉競技のスケジュールは「欧米の時間帯」に合わせて予定が組まれていて、このクソ暑い時期に無理やり五輪を開催するのも「カネ」のためなのだろう。
この夏、コロナや熱中症、異常気象による災害などで甚大な被害が出ないことを祈る。(本田政昭)
▼先週号「北米先住民族 その受難の歴史」の筆者、鎌田遵さんとは21年前、南北朝鮮同時訪問に向かうピースボートの船上で出会った。当時、鎌田さんは米国放浪の旅を経てUCLAの大学院生。私は拙著『環境レイシズム』を上梓したばかり。揺れるデッキや食堂で、鋭い問いを返してくるこの青年を捕まえてはエラそうに植民地支配論などを説いていたそうで、赤面の至りだ。
今や新進気鋭の研究者となった鎌田さんの論考からは改めて多くを学んだが、考えさせられたのは、カナダ政府主導の非先住民の「両親」との強制的養子縁組だ。米国でも中産階級がアジア人の子どもを養子にする例は多く、私が調査していた1990年代にはベトナム、韓国、ラオス、カンボジアなどの子どもたちが目立った。
「乳幼児期の早期に養子にした方が子どもの幸せにつながる」と......。そういう論者には、私がパレスチナ文学の最高峰と考えるガッサーン・カナファーニーの短編『ハイファに戻って』を勧めたい。国家支配に組み込まれた「我が子」の収奪と絶望が待つ。(本田雅和)
▼都議選の結果判明後、当選者たちがNHKの実施した候補者アンケートでどう回答したかをチェックした。ジェンダー情報でその一部を掲載している。ジェンダー関連で気になったのは(1)性差別だと指摘されている都立高校全日制普通科の男女別定員について、(2)同性パートナーシップと選択的夫婦別姓について、をどう考えるかだ。
(2)への回答は、どの党から立候補したかで見当がつくが、高校生から寄せられた質問である(1)への回答はどうか。多くの党の候補者が「見直すべき」と回答する中、自民党ではほとんどが「見直す必要なし」だった。公明党は「見直すべき」が多いものの「見直す必要なし」や無回答も一定数いる。両党の女性候補者比率が10%台と極めて少ないこととの関連性は不明だが、驚きの回答だ。
入試で同じ点数でも女子だけ不合格になる性差別的な制度を是正しなくていいと回答した人を、高校生たちは忘れまい。高校生はいずれ有権者になることを、議員は忘れないほうがいい。(宮本有紀)
▼4~7月までの先クールで楽しみに見ていた『大豆田とわ子と三人の元夫』。もはや「名言ドラマ」というジャンルと言っていいのではないかと思う。以前放送された同じく坂元裕二脚本の『カルテット』も多くの名言で話題になった。今回はさらに投入間隔が短くなり、数分に一度放り込まれてくる名言の数々。ジーンとする名言も大切だけれど、細かな名言たちが実は満足度を上げていると感じている。「人が『別に』って言うときは『別に』なことじゃないときですよね」「プライドが大きければ大きいほど人間の器が小さくなる」など次々と繰り出されてくる「そうそう」レベルの名言たち。
友人の死、経営している会社の乗っ取り騒ぎなど、小さくない事件は起きているのに、見終わって残るのは「日常」のドラマという印象。そこに共感が生まれる。「非日常」と「日常」をつないでいるのは過剰な言葉。この感じはシェークスピアの戯曲に似ているのでは。言い過ぎ?(志水邦江)