1338号
2021年07月23日
▼今週号の講談特集で紹介した田辺銀冶さんの真打披露で、師匠の田辺鶴瑛さんは「弟子であり、かわいい娘です。いずれ大看板になりますよう」と口上を述べました。
鶴瑛さんが母、義母、叔母(のちに義父も)を介護された経験から「介護講談」を演られていると聞き、埼玉県の講演会場にお邪魔したのが2005年秋。パン、パパンと釈台に張扇を叩きつける軽快なリズムにのせて、介護・福祉行政を「弱者切り捨て」と一刀両断する講釈に、参加者から拍手喝采を浴びていました。
17年春、脇役一筋60年の怪優・山谷初男(はっぽん)さんを鶴瑛さん宅にお連れしました。その場で「一緒に何かできたらいいね」と盛り上がり、はっぽんさんが寺山修司さんから14の詩を贈られ、持ち歌にしていることから、知人の音楽事務所社長も巻き込み「寺山修司は生きている!」を企画。その年の12月、浅草木馬亭ではっぽんさんの歌と鶴瑛さん、銀冶さん、旭堂南鷹さんの講談の競演が実現しました。
はっぽんさんは19年秋に不帰の客となりましたが、あの世とやらから銀冶さんの真打昇進を喜び、声援を送ってくれていることでしょう。(秋山晴康)
▼25ページに詳しく載せているように神田伯山、田辺銀冶両先生のサイン入り色紙を5人にプレゼントします。紙版の定期購読者限定ですが、新しく定期購読を始めていただいた方も応募できます。
色紙へのサインをご快諾いただいた両先生には、ここであらためてお礼を申し上げます。ただ、お忙しいなか、大急ぎで書いていただいたせいで、5枚のうち1枚は「週刊金曜日」が「週間金曜日」となっています。当たった方は、「とても貴重な色紙」だとご笑納くだされば幸甚です。
対談のお二人をはじめ、特集に快くご登場・ご執筆いただいたみなさま、写真提供などにご協力いただいた寄席のみなさまに感謝いたします。素晴らしい演芸である講談を盛り上げたいとの熱意を受け取りました。弊誌がその一助となれることを願っております。
こういった「文化特集」で、今後取り上げてほしいテーマなどありましたらお寄せください。可能かどうか検討させていただきます。
なお、急きょ取り上げるべきニュースの多発で、「本多勝一の俺と写真」を2号連続で休載しました。編集部の都合です。本多ファンのみなさまには申し訳なく思っております。(伊田浩之)
▼「報道の自由、ジャーナリズムの自由を守れという文脈ばかりで語られ、恵まれた大手マスコミ出身者の、しかも男の闘いだと感じて、ついていけなかった」。今号でミニ特集を組んだ植村裁判の過程では、こう感じて支援から去っていった人もいる。慰安婦問題に正面から取り組んでいないと非難されたこともある。「1審では確かにそういう面もあった。だけど2審では慰安婦問題ともきちんと向き合ったと思う」と語るのは、「植村裁判を支える市民の会」事務局長の七尾寿子さんだ。新聞労連委員長時代に植村バッシングが勃発し、労連としての対応を決める立場にあった「共同通信」記者の新崎盛吾さんは、「新聞社ごとに(慰安婦問題への)捉え方が違うので、そこに踏み込むと関われなかった」と振り返った。「でも今は植村さん自身、慰安婦問題に取り組んでいる」。植村自身、バッシングを受けるまでは慰安婦問題を避けてきた。1991年の記事がもとで、週刊誌で揶揄され、右翼の非難の的にされてきたからだ。裁判を終えたいま、「慰安婦」被害者のハルモニたちの名誉を回復するために次に何ができるかを考えているという。(文聖姫)
▼7月10日の土曜日、私は東京電力福島第一原発の構内に入った。四つの原子炉建屋を、テレビ画面を通してではなく、初めて自分の目で見た。水素爆発やメルトダウンを起こした原発群が、自分の前に無残な姿でそびえ立っている。
建屋の上半分の鉄骨がむき出しとなっている1号機は、天井クレーン、燃料クレーンがともに落下し、折り重なっている。使用済み核燃料はその下にある。核燃料デブリどころか、使用済み核燃料の取り出しすらも時間がかかり、困難な作業がつづくことが容易に想像できる。
土曜日なので廃炉作業に従事する作業員は少ない。一羽のカモメが、4号機の上を飛んでいた。案内をしてくれた東京電力の社員は、語りなれた口調でさまざまな質問に応じた。私の線量計は、あっという間に累積線量「0・02ミリシーベルト」を表示した。
私は、全国の市区町村長とその経験者でつくる「脱原発をめざす首長会議」の視察団の一員として、ここを訪れたのだった。取材として入ったのではない。よって詳細な報告を記すことは控えようと思う。私が週末の1日をどう過ごしていたかを、読者のみなさんにお知らせするのである。(佐藤和雄)