週刊金曜日 編集後記

1360号

▼安倍晋三元首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭の費用補填問題で、東京地検特捜部は2021年12月28日、公職選挙法違反容疑などで告発された安倍氏を再び不起訴処分とした。これで一連の「桜」をめぐる安倍氏に対する司直による捜査は終結した。
 検察は不起訴(嫌疑不十分)とした理由について、〈参加者が寄付を受けた認識がない〉〈安倍氏が有権者らに寄付をしたと認識していた証拠がない〉とした。
 これでは政治家が有権者を買収しても、買収された側にその認識がなければ違法ではないということになる。いずれにせよ、認識がなくとも結果として利益供与はあり、内閣の公的な行事を安倍氏が私物化したのは事実だ。東京地検の捜査が終結したからといって安倍氏が免罪されるわけではないだろう。国会では虚偽答弁を100回以上繰り返し、モリカケ問題、河井克行・案里夫妻への1億5000万円もの資金投入についても説明責任を一切果たしていない。安倍氏は改めて説明し、自ら真相を明らかにすべきだ。これで幕引きにしてはならない。(尹史承)


▼1月6日、都心でも昼前から雪がパラパラと降りだし、夕方には東京23区に大雪警報が発表された。10センチほどの積雪のおそれがあり、交通機関の乱れや車のスリップに警戒するようニュースが呼びかける。この程度で大騒ぎするなんて雪国の人はあきれるだろう。でも仕方がない。私もあわてて帰宅し、これを書いている。
 さて、年明け最初の本欄。じつは昨年から気になっていることがある。それは「読者会から」で、在日コリアンの人物ルポを指し、日韓問題を取り上げすぎという批判である。ちょっとショック。取り上げすぎかどうか、数の問題ではなく、あまり読みたくないと感じているということなのかな?。
 編集担当としては、読みたくなるように、読みやすいように、内容の充実や見せ方のさらなる工夫をと思うが、理由はそれだけなのかと気がかりでもある。在日コリアンの問題は日本の、日本人の問題。私たちの社会が抱える問題の一つひとつを、本年もていねいに取り上げていきたいと思う。
(吉田亮子)


▼年末に、東京・渋谷で上映中の「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」に行った。ドライヤーは、『裁かるゝジャンヌ』(1928年)などで知られるデンマークの映画監督。『奇跡』(54年)を日本初公開時(79年)に観て以来のファンだ。
 パンフレットには、本誌でおなじみの筆者の論評も並ぶ。四方田犬彦さんは、『裁かるゝジャンヌ』が描く占領者の弾圧と民衆の抵抗を、パレスチナに重ねる。廣瀬純さんは、『ゲアトルーズ』(64年)の長回しショット間の「繋ぎ目」に、生の「選択」を見る。どちらも刺激的だったが、特に印象的だったのは五所純子さんの評。『怒りの日』(43年)を語って、ドライヤーを「灰燼に帰した女たちの人生をふたたび結晶化してみせる作家」とするが、私にはこの形容がそのまま、五所さんが昨年刊行した『薬を食う女たち』(河出書房新社)に通底するように思えたのだ。(ちなみに同作は、『朝日新聞』の「回顧2021文芸」〈昨年12月15日付夕刊〉にも選出された)
 本年もぶんか欄を担当します。よろしくお願いします。(山村清二)


▼『朝日新聞』の先輩記者で作家の外岡秀俊さんが、年末に急逝された。68歳。早すぎる死だった。「真実に誠実である」とはどういうことか、現場で教えてもらった。物腰柔らかで静かに語るが、博覧強記の論客。呑むと底抜けの酒豪で時に泥酔した。1992年夏、ニューヨークで特派員だった彼と呑んだ私は、4軒目の未明のバーで組織ジャーナリズムへの鬱積を吐き出した。前年春の湾岸戦争で私はイラク側から、彼はサウジアラビア側から取材していたが、特ダネに見せるための粉飾や書き変えをするデスク、大本営発表に追随・同調する自他社の記者の堕落への静かな怒りだった。
 本号特集のNHK番組改竄事件の報道後、編集局長になっていた彼は、社会部から異動させられていた私の部署に深夜やってきては「編集局に戻って夕張に赴任してほしい」と強く説いた。彼の学生時代の文藝賞受賞作『北帰行』の原点の舞台、彼が札幌南高校時代から通い続けた炭鉱の街。私には荷が重すぎたが、彼の思いを私なりに次号で伝えたい。(本田雅和)