週刊金曜日 編集後記

1370号

▼岩波書店の『世界』は学生時代から愛読していました。その現編集長で、長年の知己である熊谷伸一郎さんに雑誌の理念をうかがうのは知的興奮に満ちた経験でした。
 インタビューにも登場する初代編集長の吉野源三郎さんは『職業としての編集者』(岩波新書)のなかで次のように記しています。哲学者であった三木清さんの通夜の帰り道、経済学者の大内兵衛さんがこう話したというのです。
〈こんどの雑誌は、あまり威勢のいいものにしないようにしようじゃないか。調子の高いラディカルなものばかり並べないで、僕ぐらいな年配(編注、当時57歳)の者が書いてもおかしくない、落ち着いたものにした方がいい。それでいて、何年かたってみると、戦後の日本の進歩や思潮の本流がちゃんと辿れるようにするんだな。〉
 戦後の冷酷な現実のなかで問題解決のためには息の長い努力が必要と感じていた吉野さんは、軽快な足取りよりもむしろ重い足取りが必要と感じ、「そうするつもりです」と答えたといいます。
 困難な時代に立ち向かうためになにが必要か、私もじっくり考えたいと思います。(伊田浩之)

▼ウクライナ製のチェブラーシカ人形が、私の仕事机の上に座っている。モヘヤの毛糸の編みぐるみ。太い糸と細い糸を使いわけ、目にはレースをあしらってお星様のような光をたたえている。素朴な発想ながら工夫を凝らしたこの愛すべき人形を前にして、この子をつくった方の安否が気になる。
 6年前にはウクライナからヘルマンチュクさんとヴォズニュークさんが編集部を訪れた。2人はチェルノブイリ原発事故処理作業員(リクビダートル)で、福島の被災者と交流するために来日されたのだ。藍原寛子さんが本誌で記事化してくれた。お二人は「(体調不良を訴えても)放射能恐怖症のせい」と言われつづけ、いまも健康・経済問題に苦しんでいると語っていた。彼らがさらに戦禍に怯えていると思うと、やりきれない。
 ひょんなことで、お二人とチェブラーシカのテーマ曲を歌った。
 ソ連時代のマスコットはどんなときも友達を大切にする優しい心根の持ち主だ。自分を愛してくれた人間同士が闘っているのを知ったら、きっと心が引き裂かれてしまうことだろう。(小林和子)

▼優位的地位を利用し、性的暴行を繰り返してきた米映画業界プロデューサー、ハーベイ・ワインスタインが告発されたのは2017年10月。それを契機に性被害に遭ってきた女性たちが勇気をだして声をあげ、「#MeToo」運動は世界的なものへと発展した。これは加害者への怒りはもちろん、立場の弱い女性が沈黙を強いられる不条理な社会構造への怒りでもあった。
 3月9日の「週刊文春オンライン」で、映画監督の榊英雄氏の作品に参加した複数の女性が、榊氏から配役を持ち掛けられ、性的関係を強要されたことを告発した。
 この報道を受け、映画『ハザードランプ』公式サイトが〈性加害、ハラスメントは(略)断固非難致します。ただ、映画は多くのスタッフ、キャストなど関係者の労力と協力のもと、共同作業で製作されております。関係者の尽力に報いるためにも、また映画の公開を望んでくださっているお客様のためにも(略)公開したい〉とコメントしたが、一番に寄り添うべきは被害者である。加害非難のあとに"ただし"はない。被害者以外に報いる風潮こそが、被害者の沈黙を強いてきたのではないのか。(尹史承)

▼うちの会社はそんなに人数はいないのに同じ姓の人が二組いる。本人に断っていないので仮名で話を進めるが数年前に鈴木しおりさん(仮)が入社した時、最初はフルネーム、そして段々と「しおりさん」と名前で呼ばれるようになったと記憶している。その影響を受けてもとからいた鈴木かおりさんも時折「かおりさん」と名前で呼ばれるようになっている。後からメンバーに加わった人の分が悪いのはしょうがない。呼称が名前になるのは許してほしいと、私は思っていた。そして、もう一組が誕生したのは、割と最近のことだ。
 しかして後から入社した方は田中「たけるさん」と名前で呼ばれていない。もちろん、もとからいた田中「あきらさん」も。なぜ?
「たけるさん」は、多くの人にとって年上だから名前で呼びにくかったということもあるかもしれない(それはまた別の問題をはらんでいる気もするが)。だが、それだけではなく、この呼称の違いが自分の中の何かに由来しているのではないか。初めの一組は女性で、後の一組は男性である――よし。ならば明日からは「たけるさん」と呼んでみよう。(志水邦江)