週刊金曜日 編集後記

1378号

▼2009年に、ある痴漢無罪判決への批判特集をしたとき、「推定無罪の原則を認めないのか」という男性たちの怒りの反応がきたあと、しばらくたってからぽつりぽつりと女性たちの共感の声が届いた。「判決には違和感を持っていたが私だけかと思っていた。取り上げてくれて本当に嬉しい」「女ならあれが不自然なことはよくわかる」というような意見だ。

 蔑視や差別、偏見が根底にある社会事象に違和感を抱えながらも、日々を平穏に過ごすためにそれに蓋をして生きてきた人は多いのだろう。そのことを確信したのは、19年の性暴力への無罪判決をきっかけに全国で開催された「フラワーデモ」だ。たくさんの女性や男性が心の蓋を少しあけ、自らや家族の被害、性暴力を根絶できない社会構造への怒りを語った。

 そして、それを報じるメディア側にも性暴力の被害者はいる。今号で、ある記者が受けた性暴力事件をとりあげた。公権力への取材中に起きた事件が「男女の問題」にすり替えられ、報道の自由が侵害された重大な事件だ。

 記者という職種ゆえに受ける誤解や偏見、さまざまな制約......その中で彼女が絞り出した声を聞いてほしい。(宮本有紀)

▼もしもある日突然、4630万円という大金が自分の口座に振り込まれたらどうします?

 4630万円誤送金のニュースの顛末は、まったくあきれるものでした。窃盗罪とか詐欺とか、そういう法的なことは私にはわかりませんが、自分のお金でもないものをこんなふうに使うなんて、人としての品位の問題ではないかと思います。

 もちろん、自分のお金でもないのに、「返す」と言っておきながら使ってしまう容疑者のほうが悪いのですが、誤送金してしまった山口県阿武町の対応もあまあまだったと思います。容疑者に組み戻しを拒否されてから、特に対応もせず、日々お金が動かされていたようです。おそらく、「約束したんだから返してくれるに違いない」という性善説で考えていたのではないでしょうか。誤送金してしまったとき、どう対処するのかというシミュレーションを、普段やっていたとは思えません。

 再発防止のためにも、どうしてこんなミスが起きたのか検証しなければなりません。と同時に、ミスは必ず起きるという前提で、ミスが起きたときの対処方法を考えておかなければいけないという例だと思いました。(渡辺妙子)

▼講談師の田辺銀冶さんが東京・神田明神で真打披露を行なってから、はや1年がたちました。

「弟子であり、かわいい娘です。いずれ大看板になりますように」と口上を述べた、田辺鶴英師匠の嬉しげな顔が忘れられません。

 4年前に引っ越したとき、身軽になるため数千冊あった歴史小説をすべて売り払ってしまいましたが、その中に山手樹一郎さんの『夢介千両みやげ』がありました。山手さんは、元雑誌編集者ということもあり、著作のほとんどを読み漁りました。

 くしくも宝塚歌劇の雪組が『夢介千両みやげ』公演を行なっているため、先日、妻と行ってきました。私の宝塚歌劇ファン歴は20年足らずで、妻の半分ほどですが、コロナ禍での久しぶりの"時代物"観劇を楽しみました。

 妻は、6月に鶴英師匠を誘って、その公演をもう一度観に行きます。「修羅場(激しい戦いの場面)を大事にする講談師として、私たちより得るところもきっと多いはず。講談の新作に生かせないかしら......」と妻。

 鶴英師匠の宝塚歌劇デビューの感想は、機会があれば改めて紹介します。(秋山晴康)

▼宝塚歌劇観劇あるあるに、自分の席の記録のため「上演前に幕に映し出される映像を撮影する」がある。現在東京宝塚劇場で上演中の演目では、演題の両側に狛犬のように2体の招き猫が描かれており、向かって右側は右手をあげている金運招き猫、逆側は左手の千客万来招き猫だ。この招き猫が時々まばたきをしてくれる。運良く撮影した画像の猫様がまばたきしていると幸運がやってくるとか。自分が思っているだけですが、よければお試しを。

 そしてこちらからもこの招き猫に向かってついゆーっくりとまばたきをしてしまう。猫を飼うためのマニュアル的なものに「猫と仲良くなるには猫に向かってゆっくりまばたきを」とあり、それ以来猫とみればまばたきするのが習い性となっている。猫にとってのまばたきは愛情表現らしい。効果は、うちの猫にはあるような気がする。自分の心が穏やかになる効果も。人間に置き換えるとウインクのようなものなのだろうか。ウインクは片目だから効果が不十分なのか、ウインクしても報われないこともよくある。仕掛けられたら深い親愛の情を抱かせる決め仕草があれば戦争も起きないかもなどと夢想してみる。(志水邦江)