週刊金曜日 編集後記

1400号

▼新聞記者の仕事上、中央官庁の国家公務員、いわゆる「官僚」の人たち多くに取材してきた。取材以外の時間をともに過ごしたこともある。官僚という言葉には血の通わない、冷ややかなイメージがつきまとっている。たしかにそんな人は多い。だが、中には温もりのある人格を感じさせ、尊敬できる人も少なからずいた。

 本号の特集「公安情報と政治」では、前川喜平さんのインタビューを担当した。知られているエピソードだが、前川さんは文部科学省で事務次官になる直前の文部科学審議官だった2015年9月18日、安保関連法案に反対する国会前のデモに一人参加した。参院で可決・成立するという夜だった。

 なかなか豪胆な行為だと思う。安倍晋三首相も、杉田和博官房副長官ら首相官邸にいた警察官僚たちも、まさか文部科学省高官がデモの一員になっていたとは思わなかっただろう。

 官僚である前に(あるいは同時に)「自由な個人」であること。その大切さを教えられた。それは記者も同じであるはずだ。(佐藤和雄)

▼東京・渋谷区が美竹公園から野宿者を強制排除して約1週間。11月2日、野宿者や支援者ら約30人が区役所に抗議に行った。向かった先は、区長、公園課、まちづくり第三課、生活福祉課(福祉事務所)。福祉課以外は区長、課長ともに不在。対応に出てきた職員らは何度も「アポを取っていただかないと」と述べた。だが、そもそも強制排除自体が告知のない"アポなし"で行なわれたものだ。

 また、区側は撮影・録音の禁止を求めつつも、まちづくり第三課内にいた人物が抗議者を無断で撮影する場面もあった(これへの抗議中に不在のはずの課長が出現)。ダブルスタンダードを平然と用いるのが区の人権感覚なのだろうか。

 強制排除の当日、公園が封鎖された環境下で福祉課がやってきて野宿者に声がけし、福祉課も強制排除を容認し加担した形になった。野宿者と福祉課の信頼関係がなければ福祉の実践は難しい。抗議では、信頼のためには、今後強制排除には協力できないという意見を公園課などに出してほしいとの声が出たが、福祉課課長は「状況による」と言葉を濁した。(渡部睦美)

▼村上浩康監督の『たまねこ、たまびと』が、全国に先駆けて東京・ポレポレ東中野で公開されました。多摩川河川敷に遺棄された猫や、ホームレスの人たちを支援する写真家の小西修さんと美智子さん夫妻を追った映画です。

 映画の、もう1匹の主人公ともいえる奇跡の猫・ニコが暮らすところに、臆病な茶トラの猫がいました。美智子さんから与えられる食事も、周りの猫に遠慮して満足に食べられません。美智子さんが去ろうとすると、後をずっと追いかけてきたそうです。ちゃんと食べられるようにとの願いを込めて、「チャント」と呼ばれていました。

 その茶トラ猫を家族として迎え入れました。わが家では「ロク」と名付けました。当初は先輩猫を警戒してか、膝上に数時間うずくまったままでした。2週間ほど夜鳴きが続きました。ウオーッ、ウオーッと絶叫して徘徊しました。

 あれから12月で丸10年。すっかりボス猫になったロクに映画のチラシを見せながら、「ほらっ、ニコだよ。わかる?」。そう語りかけています。(秋山晴康)

▼10月21日号の「ベルウッド・レコード50周年特集」の影響かもしれないが、編集部に『NYパンク以降のUSロック完全版』責任編集=和久井光司(河出書房新社)が版元から送られてきた。

 前文の「パンクロックはどのように生まれ、その精神性を世界に広めたのか」を読みながら、中学、高校(あるいは大学あたりまで)の頃に聴いた音に心底シビれた人間は、ある意味人生を間違えることもあるのだと、後に思い知ることも多いが、またそれもよし、とも思う。痛みもまた血肉となる。

〈そう。パンクは進化を促す思考だ。固定概念を粉砕しないと"自由につくる場所"がアタマの中にできないから、スペースを確保するためにブチ壊すしかないときもある〉(前文より)

 前文を読みながら「進化を促す思考」について自問する。この11月で創刊29周年となった本誌が今、やるべきことは何か。当時はインターネットが社会インフラとして普及していない状況からの船出でした。そのことを肝に銘じて30年目に向かいます。(本田政昭)