週刊金曜日 編集後記

1408号

▼昨年10月末、私は山梨県山中湖村に向かった。この村にある「三島由紀夫文学館」の主催で、小説家・平野啓一郎さんが三島由紀夫について講演すると知り、その場でインタビューを申し込もうと考えたからだ。

 新聞記者としての四半世紀は、もっぱら政治畑だったので、政治家や官僚らにインタビューしたことはあっても、小説家にインタビューした経験は皆無だ。経験値ゼロなので、どう申し込めばいいのか想像もできない。よって、これは直接会ってお願いするしかないな、とシンプルに考えた次第だ。

 インタビューの動機は平野さんにも申し上げたのだが、死刑制度の存廃をめぐる議論を前進させたい、という1点に尽きる。講演が終わった後、唐突に現れ、険しい表情の男(=私)の申し入れに、平野さんはさほど表情も変えず、「ああ、いいですよ」とすぐに快諾していただいた。昨年はさまざまに悲しい出来事もあった一方で、そのご返事は私の「うれしかったこと」のかなり上位に入っている。(佐藤和雄)

▼東京電力福島第一原発事故後のたった4年半ではあるが、私は同原発から25キロ圏の緊急時避難準備区域内で暮らす南相馬市民だった。毎朝、小学生たちが放射線被曝量を測るバッジを着け、山積みの汚染土袋の傍らを登校していくのを見ながら「ごめんね」「ごめんね」とつぶやき、涙があふれてくるのを抑えきれなかった。

 当時の桜井勝延市長がそんな子どもたちを見かねて「低レベルの汚染土は道路の基盤材に再利用して埋めてしまおう」と提案したとき、覆土で空間線量は減るし、仮置き場の汚染土の山を少しでも減らせるならと賛同。これに反対する東京の環境活動家に対しては「オマエらに、ここで暮らすしかない者の気持ちがわかってたまるか? ここで作った電気を使うなら、汚染土も引き取れ」と反発、喧嘩を売っていた。

 あれから6年余。今、東京のど真ん中の新宿御苑に汚染土を埋めようとの放射能拡散計画に、あのとき私が嚙みついた環境活動家の一人、満田夏花さんらとともに反対運動を闘っている。(本田雅和)

▼2016年の主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)の開催を伝承するため、近鉄賢島駅(三重県志摩市)内に記念館がある。年末、里帰りした際に寄ってみた。準備や開催中の動きをパネルで紹介するほか、会議で使われた円卓や椅子などを展示している。地元の人たちにとってサミットは思い出深いレガシーなのだろう。

 だが、伊勢志摩サミットで何が話し合われ、成果として残ったのか、思い出せない。当時の報道を見ると、世界経済の危機回避やテロ対策などが首脳宣言に盛り込まれた。サミット報道はとかく難解で、庶民には響きにくい。世界のリーダーが集まる意義はあると思うが、時の内閣支持率がグンと上がるというものでもないだろう。

 今年のサミットは岸田文雄首相の地元・広島市が会場。すでに政権浮揚につなげたい思惑が垣間見える。「核兵器のない世界の実現に向けた力強いメッセージが発信できるか」が注目点だが、大事なのはメッセージではなく、実行。支持率回復を安易に期待しない方がよろしいのでは。(小川直樹)

▼フォトジャーナリストの吉田敬三さんから年末、沖縄県石垣発の写真が3枚送られてきた。1枚目は陸上自衛隊駐屯地の工事風景。今年度中に開設予定という。「こんな具合で間に合うのだろうか」。

 2枚目は昨年8月に建立された「沖縄県祖国復帰五十周年記念『感謝の碑』」だ。「えっ?」と感じたのは、吉田さん本人もだ。たまたまこの碑に出くわしたという。

 地元紙で調べてみると、八重山防衛協会が2021年4月から募金活動に取り組み、昨年8月6日に建立を祝う催しが行なわれたようだ。裏に感謝の思いが刻まれている。「~国家、国民、市民・郡民に感謝するとともに、更なる国家の繁栄と沖縄県、八重山地域の振興発展、これまでの防衛省・自衛隊の活動に敬意を表し『感謝の碑』を建立する」とあった。なるほど......。

 3枚目は、「尖閣開拓記念の碑」。「感謝の碑」は、この尖閣の記念碑の隣に建立されたものだったのだ。3枚の写真に、歴史のネジが逆に巻かれているような違和感を抱いた。(小林和子)