週刊金曜日 編集後記

1412号

▼昨年3月、2人の子どもと日本へ避難してきたウクライナ人女性に困っていること、足りないものはないかと尋ねると、子どもを水泳やアート、乗馬スクールに通わせたいのだと言う。日本でウクライナ人避難民の受け入れをしている団体で働く友人は、金や支援ではなく、予想外の答えに驚いたというが、理由を聞いて納得した。

 女性によると、子どもたちはウクライナで戦争が起きていることは見聞きして知っているが、なるべく日常の延長で過ごさせたいと願い、日本へは「避難」ではなく「旅行」で来ていることにしているという。友人は昨年から100人ほどの避難民とかかわり支援してきたが、それぞれ考え方も感じ方も違い、ニーズも違うと話す。

ロシアによる軍事侵攻から、もうすぐ1年が経つ。国連によると、ウクライナ難民は800万人に迫るという。日本では避難民として、そのうち約2200人を受け入れてきた。もし自分が他国で生きなければならなくなったら、どんな支援が必要だろうか。友人から、今度は交流のための居場所づくりを始めるよ、とメールが届いた。(吉田亮子)

▼東日本大震災による津波被害で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校。遺族たちの姿を描く映画『「生きる」 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』の寺田和弘監督へのインタビュー記事を、松村洋さんに書いてもらった(46頁参照)。私も試写を観て、インタビューに立ち会った。

「なぜ大川小だけ、これだけの犠牲が出たのか」「なぜ近くの裏山にすぐ避難させなかったのか」。遺族は問いかけたが、映画では保護者説明会などでの行政側の冷たさが強調して描かれた。原告に加わったのは遺族の3分の1。「金目当て」と誹謗中傷を浴び、深く傷ついた。それでも校庭から裏山まで駆けて時間を計り、津波到来までに避難は可能だったという証拠を示した。

 裁判は原告勝利となり、全国の学校防災体制強化を促した。だが、なぜ裏山に避難させず、判断も遅れたのか、結局わからなかった。それでも映画の中で、亡くなった児童たちに向けて、弁護士が語りかけた言葉が心にしみる。「みんなのお父さんとお母さんは、本当に頑張ったよ」。天国の子どもたちに、この言葉はきっと届いていると信じたい。(小川直樹)

▼海外で活躍する著名な指揮者とかつて天才と言われたヴァイオリニストが地方のさえないオーケストラを立て直す。ドラマ「リバーサルオーケストラ」は、どこかで聞いたようなベタな話だと思いきや案外面白い。

 ドラマのウェブサイトには「一発逆転の音楽エンターテインメント」とあるので楽団が一流に成長していく話だろうが、それぞれ団員が抱える問題を克服していく姿を描いている。あることが理由で表舞台から姿を消した主人公が楽団のコンサートマスターに抜擢され、仲間に励まされて復帰する。演奏した(実際は本物のプロオケか)「威風堂々」には思わずブラボーと叫んだ。ちなみにW杯で浸透した「ブラボー」だが、本来は演奏を賞賛する時のかけ声である。この曲を聴くたび、今は亡き友人のトロンボーン奏者を思い出しつい感傷的になってしまう。

 さて、ドラマではなく、本物の世界的ヴァイオリニストのエッセイ『黒沼ユリ子の「おんじゅく日記」』(金曜日刊)が好評発売中。そういえば彼も黒沼さんと同じ桐朋学園出身だった。(原口広矢)

▼2月4日、東京・世田谷区の「星かげの迎賓館」で、先月29日に亡くなったシーナ&ロケッツの鮎川誠さんの"ロック葬"が執り行なわれた。1970年代、日本のロック黎明期に九州で活動していた伝説のバンド、サンハウスの名ギタリストだ。中高生の頃、ロックやブルースにシビれるきっかけとなったファーストアルバム『有頂天』は人生の中で一番聴いたレコードかもしれない。それこそ"ロックンロールの真最中"だった。

 当日、一般参列受付時間前に最寄り駅の代田橋駅に着く。会場までは徒歩で約5分の距離だが、駅付近から長い行列が続き2時間近く待った。夜空には満月のような月がぽっかりと浮かんでいた。

 葬儀場にはさまざまなロックナンバーが流れ、レコードやポスター、懐かしい写真やグッズなどが飾られた部屋も設けられていた。祭壇はバルーンや花で埋め尽くされ、愛用のギター「ブラックビューティー」とマーシャルのアンプも飾られていた。お焼香をし手を合わせる。本当にロックの神様に愛された人だった。(本田政昭)