週刊金曜日 編集後記

1415号

▼「巨大地震というよりも超巨大地震、実はいつ起きてもおかしくない状況であるということはいえますよね」。宮城県仙台市で1000年ごとに起きる巨大地震の痕跡が新たに見つかったという説明のあとに地震学者の今村文彦氏が語っていた。3・11の前年に放映されたテレビ番組のなかでだ。最近改めて見返したのだが、たしかに警告は発せられていた。

 2月に発生したトルコ・シリア大地震も他人事とは思えない。一帯は4枚ものプレートがひしめきあい、2本の断層も走る日本と同じ地震多発地帯だからだ。しかもトルコでは原発建設が進められている。ロシア国営企業によって。

 昨年11月、時事通信によって、トルコの原発建設をめぐる抗議デモが報じられていた。ロシアのウクライナ侵攻でザポリージャ原発が攻撃対象になったり、占拠されたりという事態に懸念をもつ市民の声も紹介されていた。地震についてはどう考えているのだろう。

 地震大国で原発はありえない選択肢だ。原発事故の被害者の声がなぜ届かない?(小林和子)

▼〈私が見たものを言い表せる方法があるとすれば「世界の終わりのようだった」という言葉につきます〉。国連世界食糧計画(WFP)のデイビッド・ビーズリー事務局長は、訪問先のトルコ南部ハタイで、見渡す限り家屋は破壊され学校や商店が閉鎖された現地の惨状を見て語った。トルコ・シリア大地震の被災者への支援を強化するために、トルコ大使館をはじめ多くの団体が寄付を募っている。寄付は、被災した人へ「関心をもってるよ」という力強いメッセージになる。第三者が団体を装っているケースもあるので、団体の活動内容や実績、現地での活動状況や寄付金の使いみちが公開されているか、などを確認して信頼性のある団体に寄付をしてほしい。

 東日本大震災から12年。ある日突然、天災や人災で「当たり前の日常」が跡形もなく失われてしまうことが現実にある、ということを12年前に日本も経験した。今、人類にできることは地球全体で「誰も置き去りにしない、より良い世界」を目指すことではないか、と愚直に思う。(本田政昭)

▼「国民的人気が高い麻生太郎氏」。冗談で書いているのではない。麻生氏が首相になる2008年以前、こういう表現が複数の政治記事で散見された。アキバの一部の若者たちにウケていた麻生氏だったが、「国民的人気」という表現には当時、大いに疑問に感じていた。

 首相になった後、どうなったか。失言や漢字読み間違えなどで急速に支持を失い、09年の総選挙で敗れ、退陣。自民党も下野した。しかし3年後、自民党が政権に返り咲くと、麻生氏も財務相や副総理に就いた。今も派閥の領袖として政権ににらみをきかせている。失言(放言)癖は相変わらずで、何度も多くの人を傷つけている。

 河野太郎氏や石破茂氏、小泉進次郎氏に関する記事でもよく「国民的人気」という表現が使われる。本当にそうなのか。他のメディアが書いているから安易に追従していないか。麻生氏のように、「人気がある」と過大評価されてトップに祭り上げられ、権力を握るとなると見過ごせない。「国民的人気」という言葉は、それだけ危うさを含んでいる。(小川直樹)

▼雑誌全体の販売状況は厳しいままですが、シニア女性を読者層とする月刊誌『ハルメク』(ハルメク)は元気です。昨年1月、編集長に密着した番組が「NHK」で放送されたので、ご覧になった方もいると思います。「日本雑誌協会」が公表する最新の「印刷証明付き発行部数」によると52万部。これを上回る雑誌は、あの『週刊少年ジャンプ』のみです。テレビ放映の後押しもあったのでしょう、この1年間で部数を13万部以上も伸ばしています。実は定期購読誌であり、誌名がそのまま会社名ということで、どうも勝手に親近感が湧くのです。先日配信された「時事ドットコム」の記事で、編集長は好調の秘訣を尋ねられ"思い込みを捨て、特集を見直し、深く掘り下げる"ことを語っています。また毎月届く読者からのハガキを手分けして、すべて読み込んでいるとのこと。そして「情報を整理して分かりやすくするだけで買ってもらえる時代は終わりました」とつなげています。どうやら時代に甘えてばかりではいけないようです。(町田明穂)