週刊金曜日 編集後記

1418号

▼3月17日号で「徴用工」とは誰のことか、典型的現場での労働と生活の実態はどうだったか――について報告した。岩波新書『朝鮮人強制連行』の著者、外村大・東京大学教授に監修をお願いした。日本政府の要人や少なからぬ日本の大衆が強制連行の歴史的事実を学ばなかったことが、今回の誤解の背景にあると考えたからだ。外村氏も同じ考えで、日本政府や大企業(国策企業)だけでなく、ある時期から強制連行という言葉を自主規制した大手メディアの責任も厳しく批判された。

「慰安婦」も同じ構造だ。用語自体が、強制売春被害者となった日本軍性奴隷の実態を隠すための権力による造語だ。「産業戦士」として集められた朝鮮人は全国の軍需工場や炭鉱に割り当てられ、官許で朝鮮料理屋が開かれ、「慰安婦」がいて多くの朝鮮人労働者も利用した。ヤクザが運営して上納金を企業に納め、賃金は企業に還流。「産業(企業)慰安婦」と呼ばれる。性差別や民族差別......二重三重の差別があった。現場では常識だった。歴史の証言から謙虚に学ぶしかない。(本田雅和)

▼原爆を描いた故・中沢啓治さん著の漫画『はだしのゲン』について、広島市教育委員会が来年度の小学生向け平和学習教材に引用掲載しないと決めたことが波紋を広げている。

 私は小学3年の時、学校の図書室にあったこの作品を初めて読んだ。『ゲン』を通じて、原子爆弾というものを知った。その後も途絶えることなく自宅に置き、今も真新しい全10巻を持っている。どの場面が何巻のどこにどう描かれているか、頭に入っている。

 広島市教委の姿勢には疑問を感じる面はある。ただ、教材から削除されるからといって、『ゲン』という作品の良さが色あせることはない。原爆投下時の惨禍、戦時下の暮らし、特攻や予科練、学童疎開、戦災孤児、原爆症、被爆者や朝鮮人への差別など、『ゲン』で描かれた内容は幅広く、奥深い。教材の中の数ページで描ききれるものではない。お役所が作る教材にこだわらなくても、老若男女、誰もが自由にこの本を手にとり、考え、読み継いでいけばいいのではないだろうか。(小川直樹)

▼きょうは通勤に地下鉄を使った。都内のH駅で扉が開いたとき、作家の加賀乙彦さんのことを思い出した。この近くにお住まいだときいていたからだ。今年1月12日に亡くなられたが、ボンクラ者の私は最近まで知らなかった。

『宣告』『湿原』『錨のない船』なども味わい深いが、東京を舞台に戦争を挟む激動の時代を生き抜いた医師一族を描いた自伝的大河小説『永遠の都』+『雲の都』は、奥行きと深みがあり、完結するまで目が離せなかった。

 いちどだけお会いしてお話を聞く機会があった。その週にできあがった本誌記事に韓国・鎮海が取りあげられているのを興味深そうに見て、「いい記事だね」とおっしゃった。ご自身も直前に現地を取材されていて、そのすぐ後で発表された連載小説にその成果が活きていた。

 脱原発をはじめ社会運動にも積極的に取り組まれた。本誌に登場いただきたいおひとりだったが、遂にかなわなかった。(小林和子)

▼3月13日にマスク着用が自己判断となった。予想通り、電車などではほぼ全員がマスク継続中。以前から屋外は原則マスク不要だったが、こちらもかなりの割合でマスク着用中。

 そんな中、暖かくなってノーマスク日和とばかり、通勤路ではマスク無しで過ごしている。息苦しさの解消もさることながら、一番の喜びは匂いが戻ってきたこと。もともと匂いに敏感ではないので、マスクをしているとほぼ匂いを感じない。沈丁花もくちなしも気づかない間にたくさんの季節がめぐってしまった。

 今日は久しぶりの雨、降り始めの地面の匂いがとても懐かしい。匂いを感じると、視力も聴力もあがったように感じるのが不思議だ。雨の粒もよく見えるし、雨の音もぐいぐい迫ってくる。

 潮の混じった川の匂い、追い抜いていく人のシャンプーの匂い、誰かさんちの晩ご飯の匂い。マスクで無くした生活の一部は思いのほか大きかったことを今さらながら痛感している。(志水邦江)