週刊金曜日 編集後記

1430号

▼今になると先の通常国会中盤あたりからの「解散説」はなんだったのか、ということになる。だが、6月30日号の特集候補担当としては正直ドキドキだった。「解散」となれば誌面の内容も変わってくる。特集の予定も変動するからだ。

 今週号の「政治時評」の佐藤甲一さんの見立てを読んで、なるほど、と頷いた。説得力のある見立てだ。最後の市民視線の批判がいい。

 今国会で、性犯罪規定を見直す改正刑法が成立したことはよろこびたい。だが「差別」についての特集を担当して先の国会を「差別」の観点から改めて見ていくと、これまでとりこぼしていた細部が見えてきた。

 特集そのものは、座談会から始まった。差別の現場で格闘する記者たちの思いと自分の感覚、あるいは編集部の方針とのギャップに気づき、文編集長のサジェスチョンもあり企画化したものだ。多忙の中、協力してくださった3人の記者さん、ありがとうございます。(小林和子)

▼仙台高等裁判所判事である岡口基一氏(職務停止中)が、国会議員でつくる裁判官訴追委員会により裁判官弾劾裁判所に罷免訴追され、その裁判が続いている。問われているのは、ツイッターなどインターネット上での書き込みや記者会見での発言という表現行為が、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」(裁判官弾劾法)に該当するかどうか、だ。

 裁判官の弾劾制度は戦後に始まり、今回で10件目。めったにないことであり、私はこれまで「司法はこれでよいのか」「最高裁を裁く」といった特集記事を同僚とともに担当した経緯もあり、今回の弾劾裁判の取材を続けている。

 6月14日は第7回公判が開かれた。検察官役である訴追委員会側の証拠調べである。記者・傍聴席のちょうど前にスクリーンが置かれ、そこに証拠を映し出しながら訴追委員が説明する。こちらからはスクリーンの黒い裏地しか見えない。弾劾裁判は裁判官弾劾法によって公開でやることを定めている。こんなことが二度とあってはならない。(佐藤和雄)

▼昨年12月14日に94歳で亡くなった関田寛雄牧師の「お別れの会」が6月17日、川崎朝鮮初級学校体育館で行なわれた。1957年に、在日コリアンが多く暮らす川崎市桜本の桜本教会に赴任。在日大韓川崎教会の李仁夏牧師と出会い、外国人登録法や指紋押捺問題、社会福祉法人青丘社ふれあい館の設立にかかわったという。

 晩年はヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワークの代表を務め、川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例の制定に尽力したり、桜本で先頭に立ってチラシを配りデモを行なったりしていた。会ではYMCAでの活動や大好きな映画『男はつらいよ』での礼拝説教など、エピソードが盛りだくさん。高齢になっても歩みを止めない姿にどれだけの人が励まされたか、と思う。(吉田亮子)

▼6月某日、4月2日に亡くなったノンフィクション作家、川田文子さんのお別れ会に出席しました。川田さんとゆかりの深い方々がさまざまなエピソードを披露、お茶目でどこか憎めない、川田さんのお人柄がよく伝わってくる会でした。これはもともと、川田さんの80歳の誕生日と、初期の3作品を収めた『女たちが語る歴史(上下)』(「戦争と性」編集室)の出版記念会を兼ねたものでしたが、川田さん急逝により、このような形になりました。

「希望のたね基金(キボタネ)」の方が川田さんの著作目録を作ってくださっていて、映像資料の中に「週刊金曜日ちゃんねる」がありました。私も忘れていましたが、戦後70年を特集した2015年8月7日・14日合併号の宣伝で、当時の平井康嗣編集長と川田さんが対談していたのでした(https://www.youtube.com/watch?v=Y_aWrFSHJM0)。
 いろいろ懐かしく、感無量でした。(渡辺妙子)