週刊金曜日 編集後記

1435号

▼マルクスの代表的な著作『資本論』への関心が高まっています。貧困層の拡大など資本主義の弊害が顕著になり、なぜこんな状況になっているのか、その原因を知りたい人が増えているからでしょう。

 若い研究者による『人新世の「資本論」』『ゼロからの「資本論」』(ともに齋藤幸平著)、『武器としての「資本論」』『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義』(ともに白井聡著)などが好評を博し、『資本論』への関心をより高めています。

 ただ、『資本論』そのものをすべて読破した人はあまりいません。手に入りやすいうちのひとつである岩波文庫版でも9冊に及ぶ長さがあり、内容も難解だからです。また、その解釈についても大きく二つの流れがあります。

 私がお薦めしたいのは宇野弘蔵(1897~1977年)です。彼の『経済原論』(岩波文庫)をいま、友人たちとの読書会で読んでおり、いろいろな発見や学びがあります。歯ごたえはありますが、入門に最適だと思います。そうそう、弊社出版の『はじめてのマルクス』もどうぞ。(伊田浩之)

▼日本国憲法や世界人権宣言などで謳われる崇高な理念を「きれいごと」と軽蔑し、差別発言を「本音で語る」と尊ぶ風潮がでてきて久しい。久しいどころか蔓延している気がする。美しい理念が醜い罵りで汚されるのを目にして心がささくれた時には、詩人の白井明大さんによる『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA、今年3月刊行)を読む。憲法や条約などの理念を「詩訳」した本だ。

「きみは、無限だ。自由で、やわらかくて、可能性に満ちてる。」から始まる憲法26条、「私の心の中に勝手に土足で立ち入らないで。」で終わる同19条、「差別はだめ。」が40回以上念押しされる同14条1項、「人間は誰も一人では生きていけない」という同25条......日本国憲法以外に法律や条約、判決文、他国の憲法や法律もとりあげており、どれも本質をついた表現で、かつわかりやすい。

 憲法前文は原文の格調の高さを保ちながらも親しみやすく、言葉がすっと心にしみいる。「私はずっと平和がいい」(前文より)に深く深くうなずく。(宮本有紀)

▼高校卒業後もOB会などで会ったり、SNSで情報交換してきた同期から、「実は俺、中学生のときヤングケアラーだったんだ」と言われ、意外に近くにヤングケアラー経験者がいたことを知りました。1月にヤングケアラーをテーマの一つとした、山谷典子さん作の舞台『さなぎになりたい子どもたち』を観て間もなくのことでした。

 ヤングケアラーについて、ケアされる人も多様ですが、ケアの意味も多様です。一般的には「介護」や「看護」「介助」などがイメージされがちですが、家族を「大切」にし「守る」という意味や、将来を「心配」する、祖父母や障害のあるきょうだいが外に出て行かないように「見守り」「配慮」することもケアに含まれるといいます。

 本誌8月18日号では「知ってほしい! 『ヤングケアラー』のこと」という特集を掲載します。ケアを選ぶか選ばないかは子ども自身の権利であること、そして、「家族を諦めない」支援の大切さについていろいろ考えさせられました。(秋山晴康)

▼ついに新型コロナウイルスに感染した。体調がイマイチだったので、薬局で抗原検査キットを購入し検査したところ、どストライク! 現在、自宅療養中である。

 幸いなことに症状は軽く、体調も回復に向かっているので、自宅からリモートで仕事を少しずつ再開している。

 今回、ある人から「原稿よりも健康」というメッセージをいただいた。たしかに普段、当たり前であると思っている「日常」が、健康を損なうことで、それがいかにありがたく、また脆いものなのかを考えるきっかけともなった。

「戦争」は多くの人々の「日常」を損なう。〈人の為に死ぬなんて真平ごめんさ〉(頭脳警察)。だから今、改めて反戦を考える。

 人の暮らしは「立って半畳、寝て一畳」であると、病になってあらためて思う。とくに多くのものを望まなくても、身体が元気ならばそれだけで幸せなことなのだ。たとえば町場の蕎麦屋で昼下がりにビールを飲みながら蕎麦を食べたいとか、ささやかな欲がでてきているのは、体調が回復してきている証しなのだろう。(本田政昭)