週刊金曜日 編集後記

1439号

▼関東大震災は、映像が比較的多く残された大災害だったと言われる。崩れ落ちた浅草凌雲閣、上野に押し寄せた避難者、人々に迫る炎、遺体で埋め尽くされた陸軍被服廠跡の惨状――。関東大震災100年を報じるテレビ番組でもこうした映像を見ることができた。

 大震災を撮影したカメラマンの姿を描いたドキュメンタリー映画『キャメラを持った男たち~関東大震災を撮る~』を観た。白井茂氏ら3人の横顔や震災時の行動、家族の証言などを伝えている。

 映画会社にいた3人は都心各地で撮影をしたが、被災者たちから「こんな時に撮影してんのかよ!」と罵倒され、命の危険もあったという。多くの人が家を失い、犠牲者が出ていた最中だっただけに、殺気立っていたのも無理はない。それでも白井氏は「これを見せて地方から食料をもらうために撮っているんだ」と言い返したという。

 100年後の今、すべてではないまでも、映像によって関東大震災後の様子をイメージでき、教訓も学ぶことができる。命をかけて、強い使命感を持った彼らが残したものは大きい。(小川直樹)

▼パレスチナの現状について小田切拓さんが今週号で報告をしてくれた。今回の記事でつまずいたのは地図だ。ヨルダン川西岸のトルカレムで暮らすファエズさんを記事では取りあげているが、その土地周辺の正確な区分を示す地図がないのだ。"国連の地図が間違っているので訂正を要請している"と彼は主張しており、小田切さんも取材で確認しているので、その主張に沿って地図を作成した。

 だが、そもそも正しい地図とは何か。イスラエル建国前には8・2ヘクタールあった土地が(イスラエル領になったので、もはや問題視もされない)、今は1・6ヘクタールに。現在耕作している土地も立ち退きを迫られてきた。一体誰の権限で? また、たとえ国連のお墨付きがあったとしてもオスロ合意の欺瞞を知れば、それで正しい地図と言えるのか、疑問は深まる。

 記事中、家族らが大きな木の下でくつろいでいる写真がある。紛争地の真っ只中であることを忘れる豊かな時間。そんな幸せを彼らから奪う側に、自分も加担していないか、考える。(小林和子)

▼「そごう・西武」の売却に反対する労働組合が東京・西武池袋本店で実施したストライキが大きく報じられた。大手百貨店では61年ぶりだとか。ストがニュースになるくらい、日本で大きなストは長いこと行なわれていない。

 1970年代の国鉄ストライキは幼少時で記憶はないが、80年代は通学に使っていたバス会社で時々ストがあった。スト予告があっても「ストあるって」とみんな当たり前に対応していた記憶がある。いまストがないのは、労組が弱体化していることもあるが、「声を上げる者は叩かれる」社会になっていることもあるだろう。

 だが、団体行動権は憲法に明記された労働者の権利だ。多少の不便は許容し、互いの権利を尊重しあうのが成熟した民主社会ではないか。だから今回ニュースのコメント欄で「ストは労働者の権利だもんな」と応援する声が多かったことに希望を抱く。池袋から西武百貨店がなくなってほしくない利用者も多く、理解を得やすいケースだったからかもしれないが、理解が得られるかどうかで権利の行使を判断してはならない。労働者はやはり団結せねば。(宮本有紀)

▼この夏は、東京・台東区にある妻の実家の墓参りをしました。驚いたのが、いつも立ち寄る花屋さんが完全無人化されていたことです。〈まあ、お墓を拝みにきた信心深い人が、花代をくすねて献花するなどありえないだろう〉と思いつつも、備え付けられたハサミで茎元を切ってそろえ、ボックスに値札相当の料金を入れることに違和感を覚えました。

 お墓といえば、高校受験のとき、こんな話を聞いたことがあります。数年先輩だったか、学力ランクが上の高校に入るため、墓の前で勉強し、合格したそうです。今からすると、明かりも乏しい物寂しい田舎の寺の墓前というのがいかにも眉唾に思えますが、当時は「精神集中の成果だ。頑張れ」と励まされた覚えがあります。

「言葉の広場」9月のテーマは「お墓の話」です。墓参りの思い出やエピソードだけでなく、「共同墓地」や「永代供養」、あるいはお墓についての考え方などご投稿ください。

 ちなみに今回、社内で話を聞いたところ、お墓をどうするかで悩んでいる人が少なくないと知りました。(秋山晴康)