週刊金曜日 編集後記

1481号

▼本誌7月5日号から「岸田政権とは何だったのか」というタイトルの集中連載をスタートさせた。私も2回目の経済編を担当した。

 連載では触れる機会はないが、私は岸田文雄首相の行為で最も許しがたいと感じるのは、長男翔太郎氏を政務担当の首相秘書官にしたこと。サラリーマン生活を送って社会経験はあるが、政治は全くの素人。将来、地盤・看板・カバンを継がせる上での箔付けにほかならない。つまり政治の私物化だ。

 現実に2世、3世の国会議員は多い。よほど無能な人は困るが、選挙で有権者に名前を書いてもらって当選した結果なら、議員として仕事をしてもらっていいだろう。しかし翔太郎氏の場合、何ら選挙の洗礼を受けず、国家公務員試験に合格したわけでもないのに、首相官邸という権力の中枢に入り、秘書官の肩書きを得て公務をした。首相公邸での悪ふざけ写真が元で更迭されたが、退場は当然のこと。こういう人物でも何年後か、衆院広島1区から父の後継として出馬する日が来るのだろう。「岸田の罪」は終わらない。(小川直樹)

▼「今日見たことは大人になってもずっと忘れないと思うよ」

 大洪水に襲われた街を見ながら9歳の「まるちゃん」が横の祖父にそう呟く――。さくらももこの『ちびまる子ちゃん』で描かれたこの場面は1974年7月7日、静岡市を見舞った「七夕豪雨」。24時間で508ミリもの総雨量を記録した、地元では伝説の大雨だ。

「忘れなかったよ」と、ちょうど50年後の七夕の昼前、あの日とは真逆な真夏の陽光の下、穏やかな川面を橋の上から眺めながら私は独り呟く。まるちゃんとは隣町、この川の近くにあった木造長屋の停電した居間で屋根を叩く暴力的な雨音を聞きながら眠れない夜を過ごした当時10歳の私もまた、雨上がりの朝にこの橋から眺めた、街一帯が巨大な湖と化した光景が半世紀後の今も瞼に浮かぶ。

「まるちゃん」はすでにこの世にいない。かつて遊んだ河原では、あの日の私ぐらいの子どもたちが水遊びに夢中。私もまた今日見た君たちの姿を、この世を去るまで忘れないと思うよ。(岩本太郎)

▼今週号で取り上げた台湾映画『流麻溝十五号』のエンドロールには「白色テロ」で実際に処刑された死刑囚たちの顔写真が映る。執行直前に撮られたものだが、なぜか、みな笑顔だ。インタビューで周美玲監督にその理由を尋ねると、死刑執行前後の写真を見比べて死亡確認をしていた蒋介石に対して「私はあなたに服従しない」「死ぬまで抵抗する」と意思表示するためではないかと答えてくれた。

 映画では悲惨な歴史を題材にしながらも、互いに信念を曲げず助け合う収監者の姿が描かれる。監督は「死の直前に見せたあの微笑みには信念が表れている。力に満ち、感動を与える。こうした人間性の輝きを映画を通して広めていきたい」と語った。「戦争や災難、(思想的)弾圧がどんなに苛烈で残酷であっても人間性の輝きは消せない」とも。思想弾圧は日本でも治安維持法下の犠牲が顕著だった。世界に目を転じれば、今も親パレスチナのデモ参加者が逮捕される状況がある。監督のメッセージは時を超え、地域が異なっても色あせることはない。(平畑玄洋)

▼『週刊金曜日』を発行する(株)金曜日は、6月30日決算です。今は新年度を迎えています。これから売り上げやそれにかかった費用、人件費など、収入と支出を詳細に計算して決算を行ないます。

 昨年予算を組んだ時の見込みどおり、本業の収支を示す営業利益は大幅な赤字を計上する見込みです。しかし、みなさまからいただいたサポートのおかげで、本業以外の収支を加えた経常利益はまずまずのところに落ち着く見込みです。この構造は新年度になっても、基本的に変わりません。

 そこで新年度最初の7月5日号で、全定期購読者に、発行人の植村隆がほほ笑むサポートのチラシを同封させていただきました。現在その反響が寄せられています。

 発行後5日間でクレジット決済と郵便振替合わせて100件を超えるサポートをいただきました。本当にありがとうございます。購読していただいた上にサポートをお願いし、なんとか発行を継続しています。みなさまのお気持ちを胸に刻んで業務にあたりたいと思います。(円谷英夫)