週刊金曜日 編集後記

1484号

▼「子どもなんて殺すのなんか簡単なもん」。満州で集団自決を図り「瞬きする間」に幼い我が子2人を紐で絞め殺した隣人女性について、引揚者が回想する。敗戦特集で紹介した映画『大日向村の46年』の証言シーンだ。映画は一方で、日本人が入植する際、現地住民の土地が奪われた加害の事実も突き付ける。知らなかったというそぶりを見せる証言者は多い。だが、山本常夫監督は本誌インタビューで、入植地が開拓の必要がない既耕地だったことは大日向村報に載っていたと語る。そこで資料を取り寄せた。『満州分村の神話 大日向村は、こう描かれた』(伊藤純郎著)に転載された1938年2月15日の村報を読むと、確かに入植地の大半が既墾の畑や水田だったことがわかる。村報の翌号には「移民来ラバ作地ヲ取上ゲラレ耕ス可キ地ナカリセバト心配ノ情各所ニ認ム」との記述も。戦時中でも知ろうと思えば知り得た事実がある。満蒙開拓の歴史から読み取るべき教訓は多い。(平畑玄洋)

▼NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、高橋克実さん演じる弁護士が、長岡空襲で亡くなった娘と孫娘を思い出し、号泣する場面があった。地方都市の新潟県長岡市でも空襲で大勢の人が犠牲になった。一方で県庁所在地の新潟市は大規模な爆撃を受けなかった。米軍が原爆攻撃目標都市にしていたからだ。

 広島、長崎に原爆が落とされた直後、新潟市民は「次は新潟が新型爆弾の標的になる」とおそれ、実際に県知事が郊外への疎開を市民に命じた。市民は一斉に知人宅や寺などに避難し、8月13日には市街はほぼ無人の状態になった。

 14年前、新潟での新聞記者時代、この逸話を記事にした。取材時104歳だった男性は、疎開できず市内に残り、「猫の子一匹いないという言葉通り。不気味だった」と回想した。その男性も鬼籍に入られた。来年は戦後80年。兵士として戦ったり、物心ついて空襲や被爆を体験したりした人は本当に少なくなる。それでも語り継いでいかなければならない。(小川直樹)

▼先月3日から発行された新紙幣がさっそく手元にやってきたが、見れば見るほど「子ども銀行券」みたいだなあ。1万円札の肖像画は渋沢栄一だが、3回ぐらい後の新札のそれはのび太かドラえもんになってんじゃないですかね?

 個人的に今から約30年前、海外放浪していた旅先でのお札で印象的だったのはベトナムとトルコ。肖像画は前者がホー・チ・ミン、後者はケマル・アタテュルクが全紙幣共通。共にインフレが進み、買い物時にズラリと並んだ0の数を確かめるのが面倒だったほか、銀行で迂闊にも米100ドル札の両替を頼んだ欧米人の旅行者が、カウンターにドンと詰まれた山のような札束を前に頭を抱えていた場面を思い出すが、しかしそれも今では大昔の話。円安を追い風に東京観光を楽しむインバウンド客を横目に、30年後の子ども銀行券の肖像画人物と0の数を無意味に想像する元バックパッカー中年、余生の一日であった。(岩本太郎)

▼クレジットカード会社から封筒が届いた。開けると「下記の利用に覚えがありますか。ない場合はご連絡を」とあった。公営ギャンブルの投票システムの決済が並んでいた。もちろん、覚えはない。1回あたりは高額ではないが、短期間に繰り返し決済されていた。

 自分の決済ではない旨を連絡すると、すぐにカードは無効となり新しいカードが送られてきた。映画館のネット予約に使っているカードだった。どこでカード情報が漏れたのか。突然分野の違う決済に頻繁に使われたので、カード会社の警戒網にかかったのだろう。対応は迅速で、実害はなかった。

 週刊金曜日サポーターズの事務局を務めていると、「ネットでクレジットカードを使うのは抵抗がある」という方が、結構いらっしゃる。お気持ちはよくわかる。私たちは多くのリスクに囲まれて生活している。その中でクレジットカードは、キャッシュレス決済の分野では一日の長があるだけのことはあるなと感じた。(円谷英夫)