週刊金曜日 編集後記

1487号

▼長崎原爆の日の今年8月9日、岸田文雄首相は長崎市での平和祈念式典の後、「被爆体験者」と面談した。原爆に遭った時、国が指定した援護区域外にいたとされ、被爆者と認められていない人たち。救済を迫られた岸田首相は「しっかり対応します」と答えた。

 岸田首相が突然、自民党総裁選への不出馬を表明したのはその5日後の14日。9日の段階で退陣の意思を固めていたか、はっきり分からない。面談時には首相を辞める気でいたとしたら、被爆体験者をあざむいたことになるのではないか。被爆体験者の支援者が「はしごを外された気持ちだ。あの時に(不出馬を)決断していたなら無責任だ」(8月15日付『毎日新聞』)と失望したのも無理はない。

 15日付の新聞各紙は岸田首相退陣表明の記事がスペースを割いた。この日が79回目となる敗戦の日であるという記事は縮小ぎみで、窮屈な扱いになった。岸田首相という人、やはり第一に考えるのは自分の都合で、周りへの配慮ができないとつくづく感じる。退陣表明後、世の中の関心は総裁選に移り、岸田首相はすっかり「過去の人」になった。(小川直樹)

▼「自分探ししてる18歳。自分を皆が探してる81歳」というネット記事に、もはや自分は後者に近くなったとかみしめつつ、その自分が18歳だった1982年から発売されている「青春18きっぷ」を手に、夏休み中の私が向かったのは千葉県の銚子電鉄。数年前の倒産危機を副業の土産物「ぬれ煎餅」の大ヒットで乗り切ったことでも知られるローカル私鉄だが、ここに今年"期待の新人"がデビューした。南海電鉄から購入した製造から50年以上を経た中古電車で、導入にあたって新たにつけられた愛称は「シニアモーターカー」。

 以前には自らの倒産危機をネタにした映画『電車を止めるな!』を制作して大ヒットさせるなど、よくも次々にそういったアイデアが浮かぶものだなと感心するが、自虐ネタまでも使ってしたたかに生き残ろうとするその姿勢には、自分も学ばなければならないなと編集者兼鉄っちゃんの一人として敬意を覚えた。というわけで休み明けに編集部に持参したお土産は前記「ぬれ煎餅」「まずい棒」の組み合わせになった次第。(岩本太郎)

▼8月30日号で和歌山カレー事件を検証する映画『マミー』を取り上げた。二村真弘監督への取材で気づかされたのは控訴審判決の強引さだ。犯行動機は解明されていない。だが、調理場のガレージで林眞須美死刑囚が主婦らの言動に激高したというのが検察側の見立てだった。この「激高論」は一審判決では証拠がないとして退けられた。それが控訴審判決で復活、「腹立ち紛れから犯行に及んだ」「理不尽で身勝手な動機経緯」とまで言われた。だが、二村監督が当時その場にいた主婦に聞くと「そんなことは全くなかった」と証言したという。裁判官が検察の主張に沿って「分かった体」を取り繕っているのではないか、とさえ思える。新聞記者だった筆者が和歌山に赴任中の2012年、県警科学捜査研究所の主任研究員(当時)が鑑定データを捏造する事件が起きた。主任研究員は「上司から分析データの見栄えが悪いと叱責されるのが嫌だった」と述べていたらしい。カレー事件の司法判断も"見栄え"の良いストーリーに寄りかかってはいないか。この主任研究員はカレー事件の捜査にも関わっていたとされる。(平畑玄洋)

▼「2年目のジンクス」。初年度に好成績をあげたスポーツ選手が、2年目に壁に当たって試行錯誤することをさすという。2年目は思い通りにいかなかったり、迷いが生じたりするものだ。

「週刊金曜日サポーターズ」も2年目。昨年と比べるとやや右肩下がり傾向だ。7月5日号で定期購読者のみなさまにチラシを同封させていただいたが、件数、金額ともに昨年を下回った。これは何を意味するのか。おそらく、サポートをいただいて『週刊金曜日』がどうなるのか、私たちがきちんとお示しできていないのではないかと考えている。

 思えば、現役時代も仕事は2年単位だった。1年目は未経験だからとにかく頑張る。やがて周囲の景色が見えてくると「こうすればいいのではないか」というアイデアが浮かぶ。2年目はその問題意識を具体化する。だが凡庸な私は、3年目に入ると進歩がなくなった。

 準備段階も含めて「週刊金曜日サポーターズ」の仕事を始めて、まもなく丸2年になる。今月いっぱいで購読者に戻ります。ありがとうございました。(円谷英夫)